Interview

【五十嵐一生】自分にとって音楽とはなにか

五十嵐一生

深夜某日、六本木のジャズクラブ、サテンドールにて行われた五十嵐一生さんとのミーティング。ホリエモン万博2020ジャズフェス「#ジャズなう」に出演する五十嵐さんの音楽の真髄に迫った。
(インタビュアー濱田)

濱田「一生さんにとって音楽とはなんですか」

一生さん「音楽とは、心である。それについてはFacebookの投稿を見て欲しい。」

五十嵐一生氏のFacebook「まず、良い音を出すヤツは「凄い!」ってこと。しかし、何が凄いかってわかるか?オレは少しずつその核心に触れてこられたんだ。最初は本当に少しずつしか前に進まなかったんだがな。徐々にその答えは・・・本当に徐々にオレのところにやってきたのは事実だ。

良い音を出す凄いヤツがもちろんもってるのは、ある意味の力だ。努力する力だったり、心がける力だろうか。日々悩み、苦悩の中から抜け出そうとする。そしてまた新たな自分を探求し、その行動を継続する力。まずそれが凄い。まあ、それは当たりまえな話なので、オレが声を大にして敢えて言う事でもないな。

けど、凄い音を出すヤツって、そいつの音は間違いなくひとの心に響くだろ?。いや、響いているはずだよなあ?それを感じた事ってあるだろ?感じた経験のないヤツはこれからそれを体験すれば良し。わかるヤツは考えよう。その心に響く音の力___。

その力はいったいどこからくるのだろうか?オレは考えた事がある。というか、今まで考え続けてきたと言っても過言ではないだろうな。

オレの結論はこうだ・・・。

例えば、マイルスがオレにとって心に響く音を出す人の最高峰なんだが、彼は世間に嫌われることを平気で発言・・・などなど。人々はあの人の人間性は最悪だだの、精神がおかしいなどと言っていた。もし、オレがマイルスに挨拶しにいっても手紙を書いても多分その行動が無駄であると感じるほど、おおよそ近寄れない悪い人で、人を不愉快にする事を何とも思っちゃあいないのかなあと・・・。まあ、それは勘違いだったのだがね。

「しかし、あのおとはなんなんだ?わるいひとがだすおとなのかなあ・・わるいひとでもああいうおとをだせるようになるんだろうかなあ・・・?」オレは少年期にそんな風に・・考えてしまって謎めいた部分を考えるとほかの思考が一切できなくなるようある種の病気のような感覚をしばしば覚えた。たしかにその記憶がある。

「もしかしたら?・・・・・きっと、あの表向きとは別の外側からわからない部分にめちゃくちゃ美しい心があるんだじゃないかなあ?」とてつもない大きくて強い心の持ち主に違いない・・・・・・。そういう風に思い始めたんだ。

そう確信したのは、ブラックホークのライヴ演奏。

あのライヴ収録の音から何かを感じ取れた日が突然やってきたのは記憶しているし、それに気づいてヤマジョウに深夜電話をかけたのも覚えている。

それから、プラグドニッケルの7枚。カーネギーでのイン・コンサート。そしてイン・トーキョー。

いい音を出したいならば、それはテクニックのみの話じゃなくて、確実に「こころ」の問題なんだな。そう気がつき始めてから、オレはこの「良い音をだすニンゲン」とはどうなっているのか?を徐々に深く考え、その結論を出そうと思い始めたってわけだ。

「とてつもなく大きくて強い心の持ち主」が、もの凄い音を出すのだとしたら、その「大きくて強い心」っていうのは、一体どうなっているのだろうか?どんな形をしているのだろうか?何色なのだろうか・・・・。

人間元々もってうまれたモノがある。それは否定出来ないどころか、受け入れないとどうにもすすまない。自己を否定してしまうと、嫌悪があって、それにより自分を成長させる事を妨げてしまうし、いっこうに自信につながっていかない。自分のなかにある良い部分と良くない部分それをちゃんと受け入れて、自分自身に告白する。そこから道は始まって、何をどこで体験し、どう?歩いてゆけばよいのか・・・。

「大きくて強い心」になるのには、歩いてきた道のどこかに何かを「体験」し「学び」「苦悩」し、あるところで小さな結論を得て自分を形成し、心を育てていかなきゃならないだろう・・それは間違いないだろう。そんな風にオレはそう長い間思ってきた。

「苦悩」___。この言葉にオレは文字通り悩まされてきた。

ガキのころから悩んでデカくなろうとしてきたのに、「まだまだおまえは苦悩が足りないんだよ。大人になったらわかるよ」ある人は「音はいいんだけどな。苦悩が足りないんじゃないかなあ。苦悩の音がしない」などと言われ続けてきた。

これ以上何を悩めばいいっていうんだ?なにをどうすればいいんだ?・・と必要以上に自分を責め続けてきたかもしれないな。

自分の演奏の録音をプレイバックし、その直後にマイルスやケニー・ドーハムやウエイン、ビル・エヴァンス・・・色んなものを聴き、また自分の演奏を聴く。交互にだ。それを何度も繰り返した。

それは自分に何が足りないか?何が良くないのかを知るためにわざわざやってきた事だ。努力家ならオレの言っているそれは理解出来ると思うし、オレと同じようにドデカイものと自分のめちゃくちゃ小さいものを比べて考えてきたに違いない。決してオレだけがそれをやってきたわけではないと思う。そこででる結論は「自分っていうのは、なんってちいさいのだろうか・・・」と言う事になる。これは求道していく中である意味やりすぎるととてもとても危険な行為だろうな。自分を受け入れるためにやるわけなのに、否定しなきゃいけない。これは矛盾しながら・・転んだり起きたりをしながら進んでいくわけだ。きつい・・・。自己を否定してしまうと、嫌悪になったまま、抜け出せなくなるからな。

「自分に何が足りないか?何が良くないのか」

こんな事を思い詰めて毎日ゲロを吐きながら歩いてきたようだと言ったらいいだろうか・・・。いつもしかめっ面をしていたし、自分は人に対してどんどんぶっきらぼうな態度になり、自分に対して怒ったり・・そして塞いだり・・・。

そして、認められ評価されたいと思わない事にした。

褒められたいとも思わなくなっていった。褒められても否定してきたかもしれない。そしてそして、生半可に理解されたくないと思うようになっていった・・・・。

評価のようなそれらは、自分から思い願わわなくて向こうから勝手にやって来るものだ。だから、何事にもまっしぐらでいればよし。ただただ道を進めばいいんだ・・。

嬉しい事も、キツイ事も、傷つく事も。それらはひっきりなしに自分やってきて、「課題」としてもたらされる。自分が閉じなければそれらははっきりと見え、考えなければいけないものがぎっしりと詰まっている。だから、そんな苦悩のなかに身をさらせば、精神は安堵したり不安定になったりするものだ。毎日上がったりさがったり・・・。本当に苦しい事だろうなあ。

その「とてつもなく大きくて強い心」をもっている人には、多くの「体験」があったことが明らかだ。」

一生さん「つまり、何が言いたいかというと、良い音楽を作るには、ミュージシャンだけでなく、企画者も箱もそれぞれ心がないといけない。」

濱田「確かに、音楽に対して心は大事だと思うのですが、お店や企画の主催者、ミュージシャンなど、みんなやるべきことが違うので、自分はそれぞれ切り分けて考えないといけないのかなと思うのですが

一生さん「いいや、違う。どうやったら切り分けて考えられるんだ?考え方を整理しよう。」

 


紙を丸めて広げた五十嵐一生さん

一生さん「自分はこの考え方で良い音楽が生まれると考えられる。紙を丸めて広げても、書いてることが残ってる通り、これは”切り分けて”考えることはできない。」

 

終電を逃した私は、車で家まで送って頂いた。
その時の車の中で、一生さんの話をゆっくり聞くことができた。

 

濱田「一生さんが、心に影響を与えた一番のものはなんですか。」

一生さん「映画だね。」

五十嵐一生氏のFacebook「映画には、人間同士のかかわり合い、皮肉、憎しみ、ねたみ、こころの醜さ、孤独、そして、それとは真逆な、愛、友情、物事の無形の美しさ。これらは決して簡単に表す事が出来ないから、無数の作品が昔から今の今まで表現され続けていることだろう。いったいどれだけの作品に感動を受け、涙し、自分を肯定する材料をもらっただろうか・・・。いずれも「心を考える」には多面的に大きく関係している。オレの心を動かした作品を作った凄いヤツにも「大きくて強い心」を感じたのを覚えている。」

一生さん「時間の許す限り、映画を見て欲しい。忙しいだろうけど、映画を見た分だけ素晴らしい人生になると思うよ。」

濱田「最後に何か一言お願いします。」

一生さん「若いヤツらにもっともっと、心を使って欲しい。偉大な先人達のように心から音を出して欲しい。観客や聴衆はそれを求めている。それは音楽の成長を意味すると思う。そして、人間は心で動く。それは動力となり、何かを動かす事が出来る。心を受けとめ、心から何かを与え、心と心を通わせれば、きっと世界は平和になる・・・。」

 

こうして、私は家に着いたのであった。