Jazz

ジャズを「わかる」とは

 

私がまだ、ジャズに対する知識が乏しかった頃の話だ。

ジャムセッションが終わり、ジャズの名演奏がかかっているお店の中で、ミュージシャン同士で曲当てゲームをはじめた。

もちろん私も強制参加。

だが、どうだろう。私の回答は、ことごとく外れていく。

しまいには

「お前はジャズをわかっていない。」

と言われたものだった。

それ以降、特にジャズを演奏する分際であるならば、オーディエンスの気持ちを理解しなければならないのだと、私は考え、ジャズと本気で向き合ったものだった。

だが、私自身、オーディエンスとしてのレベルが低すぎると感じるときは、一向に減らなかった。むしろ、なぜ今まで私は、この曲を知らなかったのだろうかと自問自答する回数が増え続けた。

 

そんな中、あるジャズ好きの後輩と話していたときのことだった。

「ジャズをわかるには、マイルス、コルトレーン、エヴァンス、オスカー・ピーターソン、バド・パウエル、それに、チック・コリア、ブラッド・メルドー、ロバート・グラスパーなどを一通り聴いとかないとだめですよね。」

この些細な言葉が、私を大きく突き動かした。

「違う、わかるってそういうことじゃないと思う。」

一体どういうことか。

ジャズが好きで、ジャズを聴きたいという人が、ジャズをわかるのに必要なこと、それは純粋に「楽しむ」ことに尽きると思ったのだ。

というのも、仮にその後輩が、マイルスを知り、コルトレーンを知り、グラスパーを知ったところで、それはジャズの演奏スタイルや歴史など、「音楽」を理解しただけに過ぎないだろう。

もちろん理解した上で楽しむことを否定しているわけではなく、むしろ、理解した上で楽しんで頂きたい気持ちは大いにある。ミュージシャンを目指すなら、尚更だ。

しかし、純粋にジャズが好きで、ジャズをこれから聴きたいという人に対して、あれを聴けこれを聴けというのは、自発的にジャズを楽しんでもらうことには直結しないだろう。

 

これこそ、ジャズのオーディエンスが増えない良い例だと痛感したのだった。

ジャズを楽しんでいるかどうか、本質はそこにある。

そして、例えばグラスパーを聴き、楽しめてるなと思ったならば、どんどん聴いていけば良いし、耳に馴染まないと思えばきっぱり諦め、別のミュージシャンの音楽を聴いていけば良いのだ。こうしたこともジャズが好きだからこそ、できることだろう。

「ジャズを楽しむことができる人」、こうした人が増えればと切に願うばかりである。

 

(文:濱田真秀)