Jazz

ジャズはアメリカの音楽なのか?

ジャズ・アンバサダーズテディ・ウィルソンベニー・グッドマンライオネル・ハンプトン

 

ジャズという音楽は、歴史的背景を踏まえれば、確かにアメリカ、ニューオリンズで誕生した。

また、ジャズがもたらした政治的メッセージは、人種差別の超克であった。

アメリカでは、公共交通機関から宿泊施設の至る所に人種差別の実態が存在していた当時、自由や民主主義を求めていた矛盾がある。

しかし、ジャズは人種を超えた民主主義を惜しみなく発信し続けてきた。
例えば、白人のベニー・グッドマンが黒人のピアニストのテディ・ウィルソンや黒人ヴィブラフォン奏者のライオネル・ハンプトンを起用したことは有名な話である。

だが戦間期を通し、冷静時代を迎え、ジャズとアメリカの関係が問われ始めた。

例えば、デューク・エリントンが大統領自由勲章を授与されたとき、その背景にあったのは「アメリカの音楽」としてのジャズの認識である。

しかし、ジャズという音楽が誕生までに非常に長い歴史を持つ後景を踏まえれば、「アメリカの音楽」と一括りにすることは難易度が高い。

というのも、スイングのリズムに熱狂する大衆を「ジターバグ」と呼び、合理主義の衰退と捉え「音楽的ヒトラー主義」と非難された事例のほか、ジャズという言語の由来が当時、卑語を意味するスラングだった説など、ジャズに向けられた視点は社会規範から逸脱したイメージを抱えており、こうした事例はジャズを「アメリカの音楽」としての受容を妨げたとも言えた。

だが、ジャズが人種差別と民主主義の乖離を埋めてきたこと理念は次第にバリューを持つ。

例えば、米国共産党紙『デイリー・ワーカー』ではエリントン、ベイシー、ビリー・ホリディらに対し、

「ピアノに白鍵と黒鍵があるように、黒人と白人がいる世界を生きることができる音楽を作り出した」

と持ち上げた。だからこそ、ジャズがアメリカニズムを体現するのか否かで衝突が起きた。

そして、この衝突において、冷戦の後景が非常に大きな影響をもたらすことは言うまでもない。

ソ連は、当時アメリカに対して、人種差別国家といったイメージのプロパガンダを流し続けた。

しかし、当然アメリカはその等式を否定し続けた。
だが、それを否定する手段として、ジャズが使われてきたことも事実であった。

だからこそ、戦後では反米知識人がジャズを愛聴し、差別される黒人への共感から、ジャズ雑誌がアメリカの人種問題を頻繁に取り上げた。
イギリスでは反米運動のデモに際してジャズが堂々と演奏された。
スターリン期の共産圏では、ジャズは頽廃芸術として否定された。
これらの動きは、『始原のジャズ』を著したフランスの批評家アンドレ・クーロワが、フランス文化の影響を重視し、ジャズの起源説を唱え、ジャズを愛好することが愛国心を意味する戦間期の動きからはじまっている。

 

最近ではユネスコが毎年4月30日を「国際ジャズデー」とし、ニューオリンズ生まれのジャズに、文化的多様性の確立や異文化対話、異文化理解の促進を期待した。

それは、ジャズをアメリカと捉えた等式ではなく、黒人文化を含む多様な文化によるジャズといった等式が当てはまる。

こうしたように、ジャズを知ることは国際関係を考えることにもつながる。
今のジャズがどのような世界を映し出しているのか、それはジャズがアメリカの音楽であると一概に考えてしまっては木を見て森を見ずであるだろう。

(参考文献:ジャズ・アンバサダーズ 「アメリカ」の音楽外交史 講談社選書メチエ)

 

(文:濱田真秀)