Scott Lafaroに迫る。第2章

(画像:Geneva Historical Society引用)

 

スコット・ラファロ、本名ロッコ・スコット・ラファロは世界恐慌の爪痕が色濃く残る1936年、アメリカニュージャージー州、ニューアーク郊外アーヴィントンに生まれた。

マンハッタンまで車で1時間ほどの場所だ。
マンハッタンが東京なら、スコットは湘南、藤沢生まれという感じ。たぶん。

幼くして母を亡くしたスコットと実の妹ヘレン・ラファロは当時としては驚くほど、子供の行動や独立心に理解のある父に育てられる。

スコットは11歳になるとピアノのレッスンを受け始め、12歳でクラリネットも始める。

高校生になると、高校のオーケストラに参加、クラリネットとテナーサックスを担当することとなる。

そして1952年、16歳の時に初めてコントラバスを手に取る。

なぜ突如管楽器のクラリネットやサックスから弦楽器のベースに乗り換えたの本当に理解し難い。
まったく別物の楽器である。

というのも、ちょうどその頃、スコットは自分のサックスの才能に不安を持ち始めていたらしい。

ある知人はこのように証言していた。

「スコットは、どうしてもリー・コニッツのようなサウンドが出せないのか、悩んでいた。ちょうどその頃、彼はリロイ・ヴィネガーのベースを耳にした。彼の中で”何か”が変わったんだと思う。」

「ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄」中山康樹著、第4章「スコット・ラファロの出現」より抜粋。

“何かが変わった”って言ったってそんな簡単にジョブチェンジできるであろうか。

しかもその後ベース歴10年もしないうちに、エヴァンスとのトリオであの名演奏をするわけだから、本当に信じがたい事実である。
ともあれ幼い時に様々な楽器に触れていたという経験は、のちにベーシストとしてのスコットの実力を後押しすることとなる。

54年、卒業写真に”Music is the Spice of Life.”のひと文を添えて高校を卒業する。

そんな彼の元にトロンボーン奏者であるバディ・モロウ・オーケストラからツアーに参加しないかという声がかかる。

そしてスコットの伝記から分かる、彼の最初のレコーディング音源が1956年(月日不明)、誕生するのである。その後もチェット・ベイカーのセッションに参加したりと音源を残してきた。しかしその頃の音源は極めて入手困難である。

現在、簡単に手の届くスコットの演奏を録音した音源は57年ピアニストPat MoranとボーカリストBeverly kellyと演奏した音源、”Sings With The Pat Moran”であろう。

このアルバムからすでに、スコットのベーシストとしての類稀なる才能を見て取れる。

この時ベース歴5年である。

 

(文:矢吹真吾 編集:濱田真秀)