Musician

Scott Lafaroに迫る。第7章

Orrin KeepnewsScott Lafaroチャック・イズラエルズドン・トンプソンパーシー・ピース

(画像:Geneva Historical Society引用)

 

最終章である本記事では、ベースアンプの登場によるベースサウンドの変化について考えたい。
というのも、ベースアンプの登場は、暖かみのあるサウンドが特徴的であった60年代までのベースサウンドを一変させる技術的革新であったからだ。

また、このベースサウンドの変化には、コンボジャズが演奏される場がバーやスナック、クラブといった比較的小さな場所から、ホールと言った大きな場所に変化したことも要因の一つであろう。
だからこそ、弦高が下がり、音量が下がったベースで大きなホールでの演奏に挑むとなれば、やはりアンプやプリアンプを通し、音を大きくする必要が出てきたのである。

1950年代から1960年代黎明期にかけて活動したスコットは、伝統的なベースのサウンドというものも意識しつつ、ハーモニーの面、そしてテクニックの面においても革新的なことをベースで表現したかったのであろう。
自分のテクニック面での表現の幅を広げるため、確かにスコットも弦高を下げたことは間違いない。
しかし彼のサウンドは美しい。弦高下げたベースのサウンドを補うため、彼は70年以降にジャズのエレクトリック化と同時に需要が減っていったガット弦を使用し、音をアンプリファイドさせる時も、ピックアップを使うことを嫌い、タオルに包んだマイクをベースの内部に入れ演奏していたのだ。

ピアニストであり、優れたベーシストであるドン・トンプソンはこう述べている。

「アンプが登場したために、みんな弦高を下げるようになり、そのおかげで本当に速く弾く事が出来るようになっている。
~中略~
でも残念なことに、多くの場合、実際に出てくるサウンドがその犠牲になっているんだ。
~中略~
ベースはもはやベースらしい音をしていないんだ。聴こえてくるのは、プリアンプとかスピーカーとかエフェクトとかそういうくだらない代物の音なんだ。
スコット・ラファロのサウンドは美しかった。」

「スコット・ラファロ その生涯と音楽 翡翠の夢を追って」 ヘレン・ラファロ・フェルナンデス著 イントロダクション 「若き日のスコット・ラファロ」 より抜粋

 


このVillage Vanguardの演奏の11日後、スコットは交通事故でその短い生涯に幕を閉じた。

スコットの死後、ビルは後任のベーシスト、チャック・イズラエルズを配したトリオで、アルバム”Moon Beams”を発表する。

そのアルバムには”Re: Person I Knew”というビルのオリジナル曲が入っている。

晩年まで演奏されることとなるこの曲のタイトルは、「私の知っていた人について」という意味だ。

このタイトルはビルのプロデューサーであったOrrin Keepnewsのスペルのアナグラム(文字を並び替える遊び)であるが、どうもこの曲を聴くと、スコットを追憶するビルの曲であるように感じてならない。

スコットはベースと音楽を愛した男であった。
ベースという生涯のパートナーを通じて、短いキャリアの中で心から愛した音楽を演奏し、学び、楽しむ事を最後の最後まで辞めなかった人物なのだ。

MJQのベーシスト、パーシー・ヒーツはツアーに出る前のホテルの中で初めてスコットのベースを耳にする。
類稀なるテクニックに驚き、部屋のドアを叩く。
彼は練習中だった。
軽く自己紹介をした後、パーシーはこう切り出した。

「そんなに弾けるのに、どうしてギタリストにならなかったんだい?」

彼は真面目な顔をして答えた。

「ベースこそ僕の楽器なんだ。」

 

「ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄」中山康樹著、第4章「スコット・ラファロの出現」より抜粋。

 

(文:矢吹真吾 編集:濱田真秀)