ジャズと教養

 

今日までのジャズシーンは、ミュージシャンだけでなく、ジャズ評論家と呼ばれる人々の存在をなくして語ることはできない。

 

「ジャズに名曲はなく、名演奏あるのみ」

この言葉をどこかで聞いた覚えのある人も多いだろう。

これは、戦後のジャズ評論家の第一人者であった野川香文氏の名言である。

この言葉が絶対的に正しいとは感じないが、この言葉がジャズの核心を突いていることには間違いない。

というのも、ジャズの真髄は即興演奏にあるからこそ、生でジャズを聴くことに意味があり、それこそ「名演奏あるのみ」という言葉が相応しいからだ。

 

さらに、多くのジャズ評論家は、「ジャズには前知識があると、より違った語り口で楽しむことができる。」と言う。

その理由は、多々あるかもしれないが、私個人としては、即興演奏で生まれた一つ一つの音に対する意味を知ることができるからだと認識している。

 

こうしたジャズ評論家によるジャズの世界は、色が大変濃く、聞いてて飽きないものだ。

しかし、中にはジャズ評論家に全く興味を示さなかったり、そもそも、活字を読むことを毛嫌いする人もいたりする。

だが、マクロ的視点でいうジャズの文化、ミクロ的な視点でいうジャズ評論家の文化を毛嫌いしてしまう大きな要因は、実に「教養」であったりするのだろう。

 

例えば、教養がない人が図書館に行った場合、読める本がなく、つまんないと感じてしまう。

それは、美術館や博物館などにも直結することだろうし、ジャズにも同様のことが言えるとも考える。

こうした「文化を享受できるか」どうかは「教養」の問題を避けては通れない。

 

また、私も含め、自分に教養がなく、どうして良いかわからない方へオススメすることが、ひたすら「ググる」ことだ。

ググるという単語がわからない人は、Google検索で「ググる 意味」を入力して頂きたい。きっと解決するはずだ。

そして、わからない知識や単語、物事にぶつかったら、とにかくググる癖を付けておけば、自然と知識が増える。そうすれば、ある種の「教養」が身についたとも言えるだろう。

 

逆に、微力ながらも、ジャズが教養を与えるケースもあるかもしれないだろう。

 

(文:濱田真秀)