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教育について再考する

教育

 

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それまでの教育

時は19世紀。イギリスで産業革命が起きた。

 

市民は「工場で大量生産のために働き報酬を得る」という、当時は画期的な労働を、この革命によって、手に入れた。

 

だが、工場を作る側の資本家たちは、効率の良い労働を追求し、多くの労働者を集めることが課題となり、こうして現代社会における「会社」的な世界観が生まれた。

だからこそ、次第に「労働者の対象となり得る子供達を保護すること」「望ましい労働者を育てるといった役割を、学校が担うようになった。

 

すなわち、本来学校とは、子どもという「材料」を使用し、「産業社会に適した大人」の大量生産を行う「工場」の一つだったのである。

 

現在教育における課題

しかし現在、21世紀の幕開けを節目に、インターネットが普及し、産業革命以来となる巨大なイノベーションが起きている。

こうしたイノベーションがもたらす影響は、自由主義化および多様化へのアクセルを大きく踏み、それまでの教育が今後自明に通用しなくなりつつある。

 

例えば、多様化が進む中で、多様性への寛容とマイノリティへの共感が求められるなか、産業革命から現在まで、多少の変化はあるものの、根底にある理念は画一的な教育であった。

 

また、テクノロジーの急速な発達も、これらの現象を語る上では避けては通れない。

電子機器をはじめ、ロボット、AIが発達し、今まで多くの労働者が必要であった「工場」も労働者が不要となった。

 

これは、単なる「工場」だけにとどまらず、「会社」もまた同じことが言える。

今まで必要であった仕事がイノベーションによって、取って代わられていくため、時代と共に企業の寿命は短命化の道を進んでいる。

米Furtune誌が行うFurtune 500によると、1955年に入っていた企業で現代でもその枠に残っている会社は60社しかない。

 

また、1955年における企業の平均寿命は75年に対し、2015年における企業の平均寿命は僅か15年と、会社の短命化の速度は強烈だ。

 

こうしたことを踏まえ、「型」が用意されていることが前提である日本の”教育”に目を向けると、型にはまった進路選択しかできず自律性と多様性を抹消している。

 

また、日本社会では、学歴年収偏差値という言葉が頻繁に見られるように、レールを作り、ステータスにこだわり続けている。

無論、その文化に対する愛情かつ愛国心に対して否定するつもりはもっぱらない。

 

だが、このような教育によって、新規性のあるものを生み出し、それに対する評価を得ることはできるのであろうか。

 

知人のトルコ人は、

「日本人は中東はいつも紛争ばかりして多くの人々が死んでいる危ない場所であると思ってる。

 

でも、日本では毎年3万人も自殺している。

 

戦争で毎年死ぬ人数よりはるかに多い。これは日本人同士がお互いに殺し合っているのと同じで、日本でも戦争は起こってる。

 

日本も、目に見えないだけで本当に危険な国だと思う。」

と話していたが、まさにその通りである。

 

厚生労働省の統計データを見ると、2012年から2016年の間に、29歳以下のグループにおいて、仕事が原因の自殺が45%も増加している。

これは、教育だけで片付けられないが、少なくとも、多様性への寛容とマイノリティへの共感を抹消している教育が問題であることは言うまでもない。

 

ジャズ的アプローチ

今までのレベルより遥かに早いスピードで時代は変わっていくからこそ、臨機応変力が求められると筆者は感じる。

 

こじつけのように感じるかもしれないが、まさしくジャズである。

インプロビゼーション、いわゆる即興演奏によって、独自の世界観を作り、周囲を巻き込み、相乗効果を発揮し、一つのストーリーを作るプロセスは、もちろん様々な要素が求められるが、少なくとも臨機応変力は必要不可欠である。

 

そして、そのストーリーに対して正解は存在せず、どうあるべきかを見切り発車の状態で模索する必要がある。

言い換えれば、一度インプロビゼーションが始まったら、それは一つのストーリーを作る使命が与えられているということと同様に、臨機応変に対応する機会に出会ったら、回避せず突き進むことが大切なのだと考えている。

 

したがって、「レールが見えない」状況は、自分の選択が正しかったことの証と言えるだろう。

 

そして、こうした臨機応変力は、同時に自律性や多様性も求められるだろう。

 

最後に

こうした問題に対する考えは当然私の意見だけで解決することはない。

 

だからこそ、読者である皆様の意見を参考にすべく、コメントを寄せてシェアしていただけると幸いである。

 

(文:濱田真秀)