I remember Roy Hargrove.

(画像:Facebook引用)

2018年を語る上で、世界最高峰のジャズ・トランペッターであるロイ・ハーグローブの死は、ジャズ界で一番と言っていいほどの衝撃的なニュースだっただろう。

長期に渡り腎臓を悪くし、透析治療を受け続けていた中、11月2日金曜日の夜、米ニューヨークの病院にて、心肺停止。49歳という若さだった。

 

ロイは、R&Bやヒップホップが盛んであったテキサスで生まれる。

そして、ロイの時代はちょうどファンクの黄金期でもあった。高校在学中の1990年、ウィントン・マルサリスに見出されデビューし、その後、若手ジャズ・トランペッターとして、フレディー・ハバード、ジャッキー・マクリーン、ジョー・ヘンダーソン、ベニー・ゴルソン、ハンク・ジョーンズ、ジミー・コブ、ハービー・ハンコック、ソニー・ロリンズなど、レジェンドと呼ばれる名だたるミュージシャンとの共演を重ねた。

 

しかしその一方で、ジャムセッションなどを通じてジャズ以外のミュージシャンとの交流も積極的に行ってきた。

2000年のD’Angeloのアルバム「Voodoo」への参加にはじまり、エリカ・バドゥの「Mama’s Gun」やコモンの「Like Water for Chocolate」への参加により、ネオソウルの発展に位置付けられるソウルクエリアンズの一員となる。

 

そして、キース・アンダーソンのグループを軸にロイが参加する形で結成され、その後自身のリーダー・バンドとなったハイブリッドプロジェクト、The RH Factorが誕生。

The RH Factorでは、モダンジャズ、ヒップホップ、R&Bが融合し、それぞれの音楽ジャンルが対話を図り、相互理解を行う新しいディレクトリが生まれた。

 

しかし、ロイは常にジャズに対する敬称を示していた。すなわち、The RH Factorのような、他の形式でブラックミュージックへ進出することを、「ジャズという伝統からの逸脱」ではなく、「ジャズの拡張」として捉えていたのだった。

つまり、ロイの音楽活動の軸は、あくまでジャズであった。だからこそ、ロイの存在は、ジャズの過去と現在、そして未来を表現するミュージシャンであり、ジャズ史において、大変重要な位置付けであった。そんなロイもまた、紛れもないレジェンドであったのは言うまでもない。