【西村知恵】ボランティアライブを通して抱いた壮大な夢とは

昨年夏より素晴らしいご縁のもと西村知恵プロデューサーとして、音楽評論家の大伴良則氏とK.INOJO氏を迎えたり、7つのUnitを一つのアルバムに収録する『SEVENTH SENSE』(カタログ的Album)のリリースに向けてレコーディング活動をしていたりと、活躍中のジャズシンガー、西村知恵さんにインタビューを伺った。(インタビュアー:濱田真秀)

濱田「知恵さんは、障害を持った子供とそのご家族に向けたジャズコンサートをやっていると伺いました。どのように活動されているんですか。」

知恵さん「私は、普段のジャズライブの活動をしているなかで、お客様やお知り合いのなかで、重い障害のあるお子さんを持つご両親がいたことがきっかけで、ボランティアライブの活動をしていて、それはDreamweaver Live(ドリーマウィーバーライブ)〜夢を織る人達が繋がるライブ〜という名前です。 障害者施設同士で紹介をして頂いたりと、活動の必要性を感じて展開しています。」

濱田「その中で、新しい発見や気づきなどはありましたか。」

知恵さん「それはそれは発見だらけです。 重い障害のある子供がここまで純粋に反応してくれることを、はじめはわかってなくて、驚きを隠せませんでした。 最初はみんなを応援するつもりで、ボランティアライブの活動を始めました。 しかし、うまく言葉を発することができない、じっとすることができない子供たちが、私達の演奏を聴いて、大人たちよりも敏感にリアクションしていたり、繊細に受け取ってくれたりしたのを目の当たりにして、演奏をしていて泣きそうになるときが度々あります。彼らは確実に”心”を使っているんだ!と感じてならないのです。」

濱田「最初のきっかけはなんだったんですか。」

知恵さん「私がライブをしていたある時に、お客さんから「Left Alone」という曲のリクエストをもらったんですよね。この曲は1958年にビリー・ホリデイという偉大な歌手が書いた歌詞で、”自分のことを愛してくれる人が誰もいなくて、帰る家もなく彷徨い続け、孤独で本当に悲しみに満ち溢れた曲なんです。そんな曲を歌って、ライブが終わって家に帰ったときに涙が止まらなくて。ふと思った時に、それは「Left Alone」という曲が昔の黒人差別の情景だけではなく、現代にも当てはまると思ったんですよね。親と暮らせない、身寄りのいない、重い障害で差別を受けてるなどと、困難から抜け出せない環境にいる子供たちが頭をよぎったんです。私はその時、今までお世話になったいろんな方に恩返しをしたいと思っていた矢先だったので、私はボランティアでそういう子供たちを応援してそれを続けていくことで、恩返しになるものができるのではないかと思いました。これが、本当のスタートです。」

濱田「こうした活動の中で、今までの最高のライブはなんですか。」

知恵さん「私がやっているボランティアライブは、昼間に合わせてやっているんですね。しかし、ついこの間、クリスマスライブを年末に横浜でやったときに、ボランティアライブでやったライブではなくて、成人を迎える青年たちに、夜JAZZクラブでやっている通常の、大人たちが見るライブに混ぜてくれないかという申し出が障害児施設の方からあったんです。私は、「もちろん大歓迎です」と喜びました。 そして、男の子たちは蝶ネクタイにジャケット着て、女の子はスカートをはいたりと、今まで施設の中で過ごす部屋着ではなく、大人っぽい格好のおめかしをして来てくださったんですよね。もちろん、1人では歩くことができないし寝たきりの子もいるので、移動が大変だったと思うんですけど。 その時に彼らがつけてた蝶ネクタイは、ずっと前に「いつかおめかしして出ていく時はこれをつけていってね」とプレゼントで貰った蝶ネクタイだったらしく、でも今まで一度もその機会が無かった。だから、今回夜にJAZZを聴きにいくということで、張り切って蝶ネクタイをつけて来てくれた。そんな話を聞いただけでも、私は本当に涙が出ました。そして、ライブを聴いた彼らが、こんなにこぼれ落ちるくらいの笑顔を見せる子供達だったんだ!施設の職員さんやお母さんたちも彼らがこんなに笑う子だったんだと、目をキラキラ輝かせる子だったんだなと、驚き涙しておられたのです。それをみた私は、そんな最高な笑顔を見せてもらえるのなら、心底もっと笑顔にしてあげたい、もっと笑顔を見たい、彼らを笑顔でいっぱいにして周りの人たちも笑顔にしたい!もっと頑張ってやるぞと、思うようになりました。そして、そういう使命感を抱くようになりました。」

濱田「今年はどんなことを達成されたいですか?」

知恵さん「お子さんから大人の方々まで、重い障害のある方々は、私達が知らないところで信じられないような差別があったり、思うようにはいかないことばかり、遠慮と我慢を強いられる社会が目の前にあって、とても苦労をしている方々が多いと知りました。そんな中、私が活動してきたボランティアライブで、音楽であんなに笑顔を見せてくれることは、私たち音楽を演奏する者にとって、プライスレス最高の宝物だと私は感じました。だからこそ、あの笑顔をいっぱいいっぱい増やしていくためには彼らに遠慮なく楽しんで貰える環境”重度障がい者の方たちの為(彼らの存在を尊重する)のジャズクラブ”を作りたい、そういう風に考えました。そして、そのジャズクラブは1年後に作りたいと思います。そして、それを世界中にも作っていきたい、という夢ができました。なので、今年はジャズクラブの第一号店を東京に本店として、来年オープンできるように今年準備をしていきたいと思っています。そして、その準備をしながら、もっとその方々の声を聴いて、私たちが外に向けて発信していかなければいけないことはなんなのかをより追求して、音楽の持つちからを頼りに、音楽でJAZZで繋がる人々の可能性に想像が膨らみワクワク胸が踊っています。」

西村知恵プロフィール

鹿児島県 阿久根市 出身。
小学校の吹奏楽ではじめてトランペットを吹く。中学時代、偶然TVでルイ・アームストロングの歌に出会う。まるで自分に向かって『JAZZは楽しいよ!ほら、歌ってごらん』と語りかけているような感覚に、一瞬でその世界に魅了される。そして偶然買った一枚のエラ・フィッツジェラルドのCDに夢中となり、それを契機に人生を決定づけるJazzな日々が始まる。
鹿児島短期大学音楽科の声楽科に入学、クラシック・オペラ歌唱法を学ぶかたわらJazzのステージに立ち、卒業後もライブハウス、ラウンジなどでライブ活動をつづける。来日中の「レイ・チャールズ楽団」メンバーから、専属歌手としてアメリカでの活動を誘われるが、R&Bとの路線違いからJazzを捨てられずに断念する。 
2009年セガのRPG「無限航路」の主題歌を歌い、海外でも話題となる。http://m.youtube.com/watch?v=c_QaKgH3f-0 
2013年3月より東京を拠点に本格的にJazz活動を再開。2014年4月 1stアルバム「My ideal 」をリリース。Disk Union Jazzで連続トップチャートを得る。
2016年5月、2ndアルバム「In my Life」を発表。
 (特別企画により800枚プレゼント)
2017年8月、株式会社ホイッスル三好(揚州商人)、株式会社ダイナミックスパースンズ東京(SMI)、2社とのスポンサー契約を結ぶ。
2017年12月株式会社 en records 設立。
2018年5月、3rdアルバム「Alfie」をリリース。
全収益は児童養護施設や障害児施設への ボランティア活動費と寄付へ。
2019年、7つのユニットでのライブを展開。新体制の元にレコーディング準備。
12月21日、西村知恵公式サイト、リニューアルオープン。
https://chiesan.com/
東京を拠点に、全国そして世界へ精力的に活動を展開中。
・・・かつてルイ・アームストロングが魅せてくれた心ときめく世界は、やがて人生そのものとなり、いま自分自身の感性でJazzの世界を表現していく旅となった。