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「Study in Brown」入門

Clifford Brownクリフォード・ブラウンジョージ・モロウチャーリー・パーカーハラルド・ランドブラウニーマックス・ローチリッチー・パウエル

(画像:Amazon引用)

 

クリフォード・ブラウンは1954年にドラマーのマックス・ローチ”クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテット”を結成し、僅か約2年という期間だが、多くの傑作とも言える作品を残している。

そんな中、このクインテットによる絶対的名盤として常々紹介される「Study in Brown」は、時代を超えた現代でも耳馴染みの良いサウンドで比較的誰でも楽しめる内容だろう。

メンバーは、クリフォード・ブラウン(tp)、ハロルド・ランド(ts)、リッチー・パウエル(p)、ジョージ・モロウ(b)、マックス・ローチ(ds)

このアルバムでは、スタンダート色かつバップ色の濃い”Cherokee”やブルースナンバーの”Sandu”をはじめ、“Swingin’ “、”If I Love Again”” Take The A Train”、などといった様々な雰囲気の曲を楽しむことができる。

そこで「Study in Brown」からいくつか曲をピックアップした形で紹介したい。

Cherokee

アルバムを再生すると、真っ先に流れてくるのは躍動的なインディアン・ドラム。
ドラムを演奏するのはマックス・ローチ、その上に、リッチー・パウエルのピアノ、それに続きテナーサックスのハラルド・ランドがアンサンブルをし、何かが込み上げてくるようなイントロダクションを醸し出す。

そう、これこそ”Cherokee”の始まりである。

暖かい音で演奏されるテーマ、そして、急速調のテンポにも関わらず、クリエイティブに満ちた歌うフレーズのブラウンのアドリブは、まさに圧巻である。
現在のセッションでも定番曲とされる”Cherokee”はイギリスのサセックス州出身のバンドリーダー、レイ・ノーブルがアメリカンインディアンであるチェロキー族の旋律を使ったバラードとして作られた曲である。
しかし、1939年にチャーリー・バーネット楽団が速いテンポで録音したテイクがヒットし、その後スタン・ケントン楽団、カウントベイシーオーケストラなどのビッグバンドでも高速テンポで演奏されることが多くなったようだ。
またコンボ要素としては、ビバップのパイオニアであるチャーリー・パーカーが40年代に取り上げて以降、数多くのジャズメンが演奏するようになり、ジャズのスタンダードナンバーとして定着した。

その中でも、ブラウニーの録音では、ハードバップの醍醐味が群を抜いて踏んだんに盛り込まれている。
だからこそ、この録音から多くのジャズミュージシャン、オーディエンスはブラウンから学ぶ(Study in Brown)ことも盛り沢山であろう。

Georege’s Dilemma

”Georege’s Dilemma”はベーシストのジョージ・モロウの名を冠して作られた曲で、“Ulcer Department”としても知られている。

特徴的なベースラインから始まるアフロ・リズムは、スパニッシュ的な要素も味わうことができるテーマとなっている。

この録音でのブラウニーのアドリブ内容は、1音1音を丁寧に選び抜き、抑制の効いたフレーズで、エスニックな雰囲気に満ちている。

Sandu

“Sandu”クリフォード・ブラウンのオリジナルナンバーのブルースである。
ブラウンのオリジナルにしては、珍しくブルース色の濃いナンバーで、ファンキー・ジャズとも言える曲調である。
Ebキーで演奏されるブルース曲としては珍しく、トランペットの音域から選択したキーだろうと推測する。

テーマに続き演奏されるブラウニーのアドリブは印象的で、テーマのイメージから始まる、ブルー・ノート・スケールによる3連のピック・アップ部分は特に心地よい。
クインテットとしてのアンサンブルを重視した録音であるため、ブラウンのアドリブは2コーラスの24小節のみである。
また、続くハラルド・ランドも同じく24小節でブラウニーのアドリブの曲調を受け持つ形で簡潔にまとめている。
さらに、リッチー・パウエルのソロに至っては、テーマの雰囲気を醸し出す、好調でファンキーな雰囲気に満ちていて、3コーラス目では珍しくレッド・ガーランド的なブロック・コードで盛り上げている。
続くマックス・ローチは4バースではなく、職人的という言葉が当てはまるような24小節の長いドラムソロを繰り広げる。
ドラム・ソロの後にテーマは始まらずにジョージ・モローのラインの12小節の後にテーマとなっているがテーマに1小節の弱起部分があるためだろうと感じる。
この録音は、一つ一つの音をゆっくり堪能できるがゆえに、オーディエンス側も、ゆっくり聴いていたいものだろう。

1955年2月23-25日に録音された約1年半後、悲劇的な事故によってブラウニーとピアノのリッチー・パウエルがこの世から去ってしまうのは本当に惜しい。

 

(文:濱田真秀)