「ジャズ・ヴィブラフォン奏者ってどんな人がいるのかわからない」
ヴィブラフォンとは、金属の音板が、ピアノの鍵盤の位置と同じように並べられて、音板の下には共鳴管が付けられている楽器です。
ヴィブラフォンは、トランペットやサックスとは違って、奏者人口が少ないため、知るきっかけも少ないかと思います。
というわけでこんにちは。
Jazz2.0編集部の濱田です。
そこで今回は、これからジャズを聴いていく上で、世界のジャズシーンにおいて欠かせないジャズ・ヴィブラフォン奏者を紹介していきます。
それでは参りましょう!
ミルト・ジャクソン
1923年1月1日アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト生まれ。
ディジー・ガレスピーに才能を見出されディジー・ガレスピーのビッグ・バンドで活躍。
チャーリー・パーカーやセロニアス・モンクらと共演を重ね、ジョン・ルイス、パーシー・ヒース、ケニー・クラークとモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)を結成。
ブルース・フィーリングに富んだアドリブ、コクのある音色で、様々な層から受け入れられ、長年に渡り圧倒的人気を誇る。
ジャズ・ヴァイヴの圧倒的な地位を獲得し、後進のアーティストに多大なる影響を与える。
ライオネル・ハンプトン
1908年4月20日アメリカ合衆国 ケンタッキー州 ルイビル生まれ。
ジャズ・ヴィブラフォンの第一人者として知られる。
もともとドラマーとして活動していたが、1930年にルイ・アームストロングの録音に参加した際、初めてヴァイブを演奏し以降ヴァイブがメイン楽器となる。
1936年にベニー・グッドマン楽団に参加し一世を風靡すると、以後自身のビッグバンドを率いて活動。
クリフォード・ブラウンやクインシー・ジョーンズ、ウエス・モンゴメリーらを輩出する。
ゲイリー・バートン
1943年1月23日アメリカ合衆国 インディアナ州 アンダーソン生まれ。
レッド・ノーヴォが始めた4本マレット奏法をより高度に開拓・確立させた現代ヴィブラフォン奏法のイノヴェーター。
1967年にラリー・コリエルを含む自己のカルテットを結成し、初期のフュージョンに大きな影響をもたらす。
コンテンポラリー・ジャズ界をリードしグラミー賞も多数受賞する。
代表作は、1972年のチック・コリアとのデュオ作『クリスタル・サイエンス』
レッド・ノーヴォ
1908年3月31日アメリカ合衆国 イリノイ州 ベアズタウン生まれ。
「ミスタースウィング」として知られるマレット楽器で即興演奏をしたジャズ界初のヴァイブ奏者で、初期のジャズシーンに多大なる功績を残す。
スウィング、バップ、クールといったそれぞれのムーヴメントにおいて主要なアーティストとしてシーンに影響を与える。
ジャズ・ヴォーカル・アレンジの理論を構築する上でも一躍を担ったことでも知られている。
カル・ジェイダー
1925年7月16日アメリカ合衆国 ミズーリ州 セントルイス生まれ。
ラテン・ジャズ・シーンに大きな功績を残したジャズ・ヴァイブ奏者。
当初はドラマーとしてキャリアをスタートさせたが、後にヴィブラフォンに転向。
20代の時にニューヨークでアフロ・キューバン・スタイルのビッグバンドと出会い、その後ウェストコースト・ジャズにラテンのリズムを融合させその地位を確立した。
ステフォン・ハリス
1973年3月23日アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク生まれ。
マンハッタン音楽学校出身。
ケニー・バロン、ロン・カーター、ハービー・ハンコック、ライ・クーダー、コモンといった著名アーティストと共演する一方、リーダー・アルバムも数々の名門レーベルから発表するなど、ブラック・ジャズ・シーンを代表するジャズ・ヴァイブ奏者。
ウィントン・マルサリス率いるリンカーン・センター・ジャズ・オーケストラの一員としても活躍。
2009年のコンコード移籍となる7作目『ウルバヌス』はグラミー賞にノミネートされるなど、現代ジャズシーンの最前線で活躍している。
ボビー・ハッチャーソン
1941年1月27日アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス生まれ。
ピアニストからヴァイブに転向し、1961年にニューヨークへ進出し頭角を現す。
1963年にはジャッキー・マクリーンの『ワン・ステップ・ビヨンド』に参加。
続く1964年にエリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』、アンドリュー・ヒルの『ジャッジメント』への参加で一躍注目を集め、ブルーノートから初リーダー作をリリース以降、新主流派ジャズ・ヴァイブ奏者として数多くの録音を残す。
レム・ウィンチェスター
1928年3月19日アメリカ合衆国 ペンシルベニア州 フィラデルフィア生まれ。
ハイスクール時代にピッコロを吹き、後にテナー・サックスやバリトン・サックスのプレイヤーとしても活動する。
1947年以降はヴィブラフォンに専念し、1950年代に入り警察官として働く傍、バイブ奏者として活躍する。
1958年ニューポート・ジャズ祭で人気を博し、1960年からはジャズ・ミュージシャンに専念する。
1961年1月13日ジャズクラブにてロシアンルーレットで命を落とす。
デイブ・パイク
1938年3月23日アメリカ合衆国 ミシガン州 デトロイト生まれ。
ドラマーとして活動を始め、西海岸でロックやメキシカン・バンドなどで演奏活動を展開する。
ポール・ブレイとの共演でジャズミュージシャンとして初のキャリアを経験すると、以後、オーネット・コールマン、エルヴィン・ジョーンズ、バディ・デフランコ等との共演を重ね、60年~65年にかけ、アッティラ・ゾラー、ドン・フリードマンと共にハービー・マンのグループに在籍し一世を風靡する。
1963年の「ダウンビート」誌の評論家投票でヴァイブ・ニュースター第一位に選ばれるなどシーンの第一線で活躍した。
テリー・ギブス
1924年10月13日アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク ブルックリン区生まれ。
モダン・ジャズ・ヴァイヴ・シーンを代表するプレイヤーの一人。
ドラムとしてプロのキャリアをスタートするもヴァイブ奏者に転向。
アメリカ陸軍に3年間勤務した後、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーなどによるビバップ・ムーブメントに参加および復帰を果たす。
ウディ・ハーマンやバディ・リッチのバンドで活躍し、数多くの録音を残している。
ウォルト・ディッカーソン
1928年4月16日アメリカ合衆国 ペンシルベニア州 フィラデルフィア生まれ。
1962年ダウンビート誌のベスト・ニュー・アーティストに選出。
ビーボディ音楽院在学中から、ジャズクラブにてビブラフォン演奏の仕事を行う。
1960年代にニューヨークに進出、自己のカルテットを結成しメタリック・コルトレーンと呼ばれる斬新な演奏で話題を呼ぶが、1964年の欧州ので演奏活動後、突然引退。
1975年に復帰し、数作のアルバムを発表したが2年ほどで再び第一線から離れる。
ロイ・エアーズ
1940年9月10日アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス生まれ。
5歳のとき、ライオネル・ハンプトンのコンサートで、偶然彼からマレットをプレゼントされたのがきっかけでヴァイブ奏者を目指す。
自身のバンド、ユビキティと共にジャズとファンクを融合させた音楽ジャズ・ファンクを生み出す。
その洗練された独自性はアシッドジャズやレア・グルーヴ、ヒップホップに関わる人々に再評価され、多くのラッパーの楽曲にサンプリングされている。
音楽ジャンルの垣根を超えた音楽スタイルは、今もなお多くの世代にファンを生み出している。
エディ・コスタ
1930年8月14日アメリカ合衆国 ペンシルベニア州生まれ。
タル・ファーロウの演奏パートナーとして広く知られる。
1957年に、フィル・ウッズとアート・ファーマー、テディ・コティック、ポール・モチアンとの五重奏で初録音を行う。
その後、リーダー作をいくつか手掛けるも1962年7月28日、ニューヨークのウエストサイド・ハイウェイでの自動車事故で惜しくも亡ってしまう、享年31歳。
ジョエル・ロス
アメリカ合衆国 イリノイ州 シカゴ生まれ。
3歳でドラムを始め、14歳ごろからヴィブラフォンを演奏。
ハービー・ハンコックやルイス・ヘイズと共演し、ミルト・ジャクソンやボビー・ハッチャーソンらに次ぐ、ブルーノートの若き新たな才能として注目を集める。
マカヤ・マクレイヴン『ユニバーサル・ビーイングス』、マーキス・ヒル『モダン・フローズ』など数々の話題作に参加。
ヴィクター・フェルドマン
1934年4月7日イギリス エッジウェア生まれ。
マイルス・デイヴィスとのセッションによる「Seven Steps To Heaven」の作曲でも知られている。
子供時代からプロとして演奏活動を始め、英国ジャズシーンにて大人同様に称賛を浴び、ヨーロッパ中をツアーして回った。フェルドマンは1955年10月に米国に移住し、アメリカのポピュラー音楽シーンの第一線を担った。
まとめ
いかがだったでしょうか。
数々のジャズ・ヴィブラフォン奏者がいる中でも、ジャンルの垣根を超え、多様に活動するミュージシャンが数多く見受けられました。
これを機に、ジャズヴァイブ奏者に興味を持っていただけたら嬉しいです。
それではまたお会いしましょう!
Jazz2.0編集部の濱田でした。