「マイケル・ジャクソンってどんな人?」
今から10年以上前の2009年6月25日、50歳という若さでこの世を去ったマイケル・ジャクソン。
史上最も成功したアーティスト、エンターテイナーとして「キング・オブ・ポップ」と呼ばれており、これまでに全世界で3億5000万枚の売上、13回のグラミー賞を含む750以上の賞を受賞し、史上最も多くの賞を受賞したアーティストとしてギネス世界記録に刻まれているなど、その活躍は世界の歴史に残っています。
しかし、中高生をはじめとする学生の方や若い世代では、マイケル・ジャクソンのことを知らない方も多いのではないでしょうか。
というわけでこんにちは。
Jazz2.0編集部の濱田です。
マイケル・ジャクソンは、1970年代にブラックミュージックのシーンで頭角を表し、1980年代に『オフ・ザ・ウォール』『スリラー』『バッド』の三つの作品によって類を見ない大成功を収め、世界の音楽界の頂点に立ちました。
2000年代になると、裁判やゴシップ、薬物依存などが原因で長らくステージから姿を消していました。
しかし、2009年に大々的なカムバックツアーを前に死去。
今でもマイケル・ジャクソンは世界中から愛されており、残した作品の数々は多くのアーティストに影響を与えています。
そんなマイケル・ジャクソンについて紹介したいと思います。
それでは参りましょう!
生い立ちとキャリア
ジャクソン5でプロデビュー
マイケル・ジャクソン(本名:マイケル・ジョセフ・ジャクソン、別名:ジョー・ジャクソン)は、1958年8月29日、アメリカ合衆国インディアナ州ゲーリーにて生まれます。
クレーン操縦士の父とデパートのパートタイムで働く母を持ち、音楽好きな両親であったため、兄弟と共に音楽に接する機会が多い環境でした。
こうした背景もあり、兄弟で音楽活動をはじめ、地元で人気を博していきます。
六男であったマイケル・ジャクソンは、長男のジャッキー、次男のティト、三男のジャーメイン、四男のマーロンと共に1966年「ジャクソン5」を結成。
1967年にはニューヨークのアポロ・シアターに出演、1968年にはモータウンと契約しデビュージングル『帰ってほしいの』で全米チャート1位を獲得。
その後、シングル2作目の『ABC』、続く『小さな経験』『アイル・ビー・ゼア』とデビューから4作品連続で全米チャート1位を獲得という前人未到の偉業を10歳という若さで成し遂げました。
マイケル・ジャクソンは、シングル『ガット・トゥ・ビー・ゼア』でソロデビューを果たすと、シングル『ベン』でソロとしても全米チャート1位を獲得。
こうしてソロ活動でも着実にヒットを重ねていきました。
その後、「ジャクソン5」は「ジャクソンズ」と改名し、エピック・レコードに移籍します。
音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズとの出会い
マイケル・ジャクソンは1978年にミュージカル映画『ウィズ』でダイアナ・ロスと共演し、制作現場にて音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズと出会います。
クインシー・ジョーンズは、マイケル・ジャクソンの全盛期を支える音楽プロデューサーで、1979年にクインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎え、エピック移籍後初のソロ・アルバム『オフ・ザ・ウォール』を発表。
全米で800万枚を売り上げる大ヒットを記録し、4シングルが全米トップチャートにランクイン。
こうしてクインシー・ジョーンズと共に、マイケル・ジャクソンは、歴史的大スターとしての道を歩んでいきます。
1982年、アルバム『スリラー』を発表。
クインシー・ジョーンズが再びプロデューサーとして制作に携わった本作は、全世界で1億枚を売り上げ「史上最も売れたアルバム」としてギネス世界記録に認定されているアルバムです。
9曲ある収録曲のうち7曲がシングル化、全米トップチャート10入りを記録し、アルバムは37週間連続でチャート1位となるなど、前人未到の偉業を成し遂げます。
1987年発表のアルバム『バッド』でもクインシー・ジョーンズと再度手を組み、社会批評や世界平和をテーマに制作された作品が大きな話題となり、3000万枚のセールスを記録。
BREアワーズにおいてポップ・ロック・ソウルの三部門を制し、今日までマイケル・ジャクソンは、「キング・オブ・ポップ」と呼ばれるようになりました。
1990年以降は、性的虐待で逮捕、訴訟やソニー戦争と呼ばれる日本の大手企業ソニーとのトラブルをはじめ、様々なゴシップやスキャンダル等の報道により、ステージから姿を消します。
2001年10月に発表したアルバム『インヴィンシブル』は生前最後のスタジオアルバムとなりました。
2009年3月に大々的なカムバックを表明し、ツアー『THIS IS IT』を発表。
全50公演分のチケットがわずか4時間で完売。
歴史的なツアーを控える矢先でした。
2009年6月25日、マイケル・ジャクソンは帰らぬ人となってしまいました。
必聴アルバム
Off The Wall
ブラックミュージックの集大成とも呼ばれるアルバムで、音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズと初めて制作したアルバム。
それまでのマイケル・ジャクソンの作品は、自身の歌をレコーディングするだけのソロアルバムで、制作に携わっていませんでしたが、本作品はクインシー・ジョーンズを中心にマイケル・ジャクソン本人も楽曲に対して様々なアイデアを投入したことから、「『Off The Wall』からがマイケルのファースト・アルバム」と呼ばれることもあります。
収録曲
- Don’t Stop ‘Til You Get Enough
- Rock With You
- Working Day And Night
- Get On The Floor
- Off The Wall
- Girlfriend
- She’s Out Of My Life
- I Can’t Help It
- It’s The Falling In Love
- Burn This Disco Out
Thriller
史上最も売れたアルバムとしてギネス世界記録に認定され、ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500において12位にランクイン。
ポール・マッカートニーやエディ・ヴァン・ヘイレンといった豪華アーティストの参加や、当時としては卓越した映像技術を用いて制作したミュージックビデオが功を奏し、世界的に社会現象を巻き起こした作品です。
第26回グラミー賞にて、主要部門である最優秀レコードと最優秀アルバム、そして更に最優秀男性ポップ歌手、最優秀男性ロック歌手、最優秀男性R&B歌手、最優秀R&Bソング、最優秀児童向けレコード、最優秀プロデューサー8部門を受賞する快挙を成し遂げました。
収録曲
- Wanna Be Startin’ Somethin’
- Baby Be Mine
- The Girl Is Mine
- Thriller
- Beat It
- Billie Jean
- Human Nature
- P.Y.T. (Pretty Young Thing)
- The Lady In My Life
Bad
音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズと制作した最後のアルバムで、「Just Good Friends」と「Man In The Mirror」以外は全てマイケル・ジャクソンの自作品です。
当時最先端の技術であった電子楽器と社会批評や世界平和をテーマに制作された楽曲、歌詞が大きな話題となり、これまでに類型3000万枚以上を売り上げるセールスを記録しました。
表題である「Bad」のミュージック・ビデオは、私服警官に強盗と間違えられて射殺されてしまった青年の実話をもとに、世界的映画監督マーティン・スコセッシを映像監督に迎え入れ、18分にも及ぶ大作で反響を呼びました。
収録曲
- Bad
- The Way You Make Me Feel
- Speed Demon
- Liberian Girl
- Just Good Friends
- Another Part Of Me
- Man In The Mirror
- I Just Can’t Stop Loving You
- Dirty Diana
- Smooth Criminal
- Leave Me Alone
DANGEROUS
音楽プロデューサーのテディ・ライリーを迎え入れたスタジオアルバム。
新しいサウンドを追い求め、ニュー・ジャック・スウィングと呼ばれる新しい音楽ジャンルを融合。
収録楽曲である「Black Or White」は、人種の壁を乗り越えようというメッセージが多くの人に受け入れられ、20ヵ国以上のトップチャートで首位を独走。全米チャートでも7週連続で1位を獲得し、記録的なセールスを成し遂げました。
収録曲
- Jam
- Why You Wanna Trip On Me
- In The Closet
- She Drives Me Wild
- Remember The Time
- Can’t Let Her Get Away
- Heal The World
- Black Or White
- Who Is It
- Give In To Me
- Will You Be There
- Keep The Faith
- Gone Too Soon
- Dangerous
死因
2009年6月25日、マイケル・ジャクソンは自宅にて心配停止状態で発見されます。
死因はプロポフォールとロラゼパムの複合使用で、外的要因による死と発表されました。
マイケル・ジャクソンは長年過度の不眠状態に陥っており、マイケルは睡眠導入のためのプロポフォールを処方していました。
しかし、死亡した当日は過度のプロフォールが投与。
また、投与中は常時監視の下で使用することが義務付けられているにもかかわらず、主治医はトイレのためマイケルのもとから離れ、戻ってきた時には呼吸停止していたなどといった様々な理由から、主治医のコンラッド・マーレーは過失致死罪の有罪判決を受けています。
マイケル・ジャクソンの死については様々な憶測が飛び交っており
「暗殺されたのではないか」
「生存しているのではないか」
といった陰謀論もあります。
まとめ
いかがだったでしょうか。
今回はマイケル・ジャクソンについて紹介しました。
これを機にマイケル・ジャクソンの作品を聴いていただけると嬉しいです。
それではまたお会いしましょう!
Jazz2.0編集部の濱田でした。