「ジャズ・サックス奏者ってどんな人がいるのかわからない」
ジャズ初心者の方で、こう感じている方もいるのではないでしょうか。
というわけでこんにちは。
Jazz2.0編集部の濱田です。
そこで今回は、これだけは是非聴いておきたい、知っておきたいジャズ・サックス奏者をまとめてみました。
これからジャズを聴き始めるあなたにぴったりのサックス奏者が見つかることを願ってます。
それでは参りましょう!
チャーリー・パーカー
1920年8月29日カンザスシティ生まれ。
「バード」の愛称で親しまれているチャーリー・パーカーは、モダンジャズの原型となるビ・バップというムーヴメントを巻き起こし、ジャズをダンス音楽から観賞音楽へと変化させた。
「モダン・ジャズの父」と呼ばれており、ジャズの歴史上最も影響力を持った偉人の一人である。
キャノンボール・アダレイ
1928年9月15日米フロリダ州タンパ生まれ。
トランペット奏者ナット・アダレイを弟に持つ。
マイルス・デイヴィスバンドに加わり『サムシンエルス』を発表。
その後、弟アダレイとリーダー・クインテットを結成し、「マーシー・マーシー・マーシー」「ワーク・ソング」等の名曲を録音。
ファンキー・ジャズを代表するミュージシャンの一人として、広く知られる。
ポール・デスモンド
1924年11月25日米カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。
ウエストコースト・ジャズの代表的アーティストで、デイヴ・ブルーベック・カルテットに在籍しており、テイクファイヴの作曲者でもある。
当時のジャズサックスは荒削りで力強い演奏が主流だった中、あたたかく柔らかい音色で繊細な演奏をするのが特徴的。
アート・ペッパー
1925年9月1日米カリフォルニア州生まれ。
スタン・ケントン楽団やベニー・カーター楽団での演奏を経て、自身のバンドを結成し、ウエストコースト・ジャズを牽引してきた。
麻薬中毒によりしばしば音楽活動を中断。
初めて来日公演を行ったとき、日本のファンの熱狂的な歓迎にペッパー自身が非常に感動したことがきっかけで親日家となり、日本公演を何度もおこなっており、日本人のファンが多い。
そのことは、妻ローリー・ペッパーによって筆記された自伝「ストレート・ライフ」によって当時の様子が描かれている。
オーネット・コールマン
1930年3月19日米テキサス州フォートワース生まれ。
チャーリー・ヘイデンやドン・チェリーらと共に前衛的な作品をつくり出し、フリージャズの先駆けとなった。
サックス奏者でありながらトランペットやヴァイオリンの演奏にも挑戦したり、「ハーモロディクス理論」という独自の理論を考案したり、常に新しい試みを続けた。
オーネット・コールマンの新しいジャズのスタイルは賛否がわかれるが、2007年ピューリッツァー賞、第49回グラミー賞特別功労賞生涯業績賞受賞など、その功績を評価されている。
ジョン・コルトレーン
1926年9月23日ノース・カロライナ州ハムレット生まれ。
「シート・オブ・サウンド」と呼ばれる、迫力ある音で速いフレーズを吹き続ける、力強い演奏が特徴的。
また、自身が作曲した名曲「ジャイアント・ステップス」などでみられる、凄まじい速度で転調するコード・チェンジは、「コルトレーン・チェンジズ」と呼ばれ、話題となる。
数多くの名盤を発表する中で、スピリチュアルな音楽を探究し続け、晩年は前衛的なジャズにも取り組んだ。
当時のジャズシーンに大きな影響を与えたことから、ジャズ史の中でも非常に重要な人物である。
ソニー・ロリンズ
1930年9月7日米ニューヨーク生まれ。
落ち着いていて味のある深い音色が特徴的なハードバップの名プレイヤー。
代表作『サキソフォン・コロッサス』は、ジャズ史上トップクラスのセールスを記録し、歴史的な名盤としても君臨。
ロリンズ節と呼ばれる豪快で迫力ある個性的な演奏が特徴的で、名盤と呼ばれる作品に数多く参加など、ジャズ界の巨匠である。
今年90歳を迎え、現役プレイヤーとして現在も活動中。
デクスター・ゴードン
1923年2月27日米カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。
ライオネル・ハンプトン楽団への参加、バド・パウエル、マックス・ローチ、アート・ブレイキーなど名だたるプレイヤーとの共演、自身のリーダーバンドでの活動など、様々なフィールドで活躍した。
俳優としても活動しており、1986年の映画『ラウンド・ミッドナイト』では主役を務め、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。
ハンク・モブレー
1930年7月7日米ジョージア州生まれ。
ハードバップ、ソウルジャズのジャンルで活躍し、熱く激しい演奏でもなく、やわらかく穏やかな演奏でもない独特のスタイルから「テナー・サクソフォンのミドル級チャンピオン」とたとえられる。
グラント・グリーン、フレディ・ハバード、ソニー・クラーク、ウィントン・ケリーなどと共演しており、ブルーノートレーベルに20枚を超えるアルバムを録音した。
作曲家としても高い評価を受けているが、その独創性が評価されたのは彼の没後であった。
ウェイン・ショーター
1933年8月25日米ニュージャージー州ニューアーク生まれ。
メイナード・ファーガソンのバンドを経て、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの音楽監督を務める。
その後、マイルス・デイビス・クインテットに所属し、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスと共に「黄金のクインテット」と言われた。
マイルス・デイビス・クインテット脱退後は、自身のバンド「ウェザー・リポート」を結成し、クロスオーバーを牽引した。
他にもハービー・ハンコックの「V.S.O.P.クインテット」への参加や、9回にわたるグラミー賞受賞など、その功績は枚挙にいとまがない。
ベニー・ゴルソン
1929年1月25日米ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。
ライオネル・ハンプトン楽団やディジー・ガレスピーのビッグバンドでサックス奏者として演奏しながら、作曲・編曲も行っていた。
アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズにも参加し、数々の名曲を生み出した。
ベニー・ゴルソンの作曲したナンバーは現在のスタンダートになっているものも多く、作曲・編曲家としての評価が高い。
スタン・ゲッツ
1927年2月2日米ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。
ユダヤ系ウクライナ人移民の家庭に生まれ、経済的にも社会的にも厳しい環境で育った。
スタン・ゲッツは幼い頃から音楽に興味を持ち、楽譜を読む速さや絶対的な音感、リズム感など、天才的なまでに音楽の才能を発揮した。
ジャズトランペット奏者ショーティ・ロジャースとの出会いからジャズに傾倒し、スタン・ケントン、ジミー・ドーシー、ベニー・グッドマンなどの楽団で演奏した。
その後は、チャーリー・バードと共にジャズ界にボサノヴァを取り入れたり、チック・コリアやスタンリー・クラークらとフュージョンに取り組むなどの功績をあげている。
大のジャズ好きとして知られる作家村上春樹は、スタン・ゲッツを個人的に一番思い入れのあるジャズ・ミュージシャンに挙げている。
マイケル・ブレッカー
1949年3月29日米ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。
ホレス・シルヴァー、ハービー・ハンコック、ジャコ・パストリアス、パット・メセニーなど名だたるアーティストと共演している。
ジャズ以外にもジョン・レノン、ポール・サイモン、アート・ガーファンクル、ジェームス・テイラー、フランク・ザッパなど幅広いジャンルでスタジオ・ミュージシャンとして活躍している。
日本でも、野口五郎、SMAP、吉田美和、CHAKA、古内東子などのレコーディングに参加している。
自身のリーダーバンド「ブレッカー・ブラザーズ」や「ステップス・アヘッド」の功績も大きく、グラミー賞を全部で13回も受賞している。
レスター・ヤング
1909年8月27日米ミシシッピ州 ウッドヴィル生まれ。
19歳からカウントベイシー楽団のサックスを務め、テナーサックス奏者のプレジデント(代表)という意味で「プレス」と呼ばれ親しまれた。
アドリブソロにおける彼の自由なフレージングやリズムのとり方は革新的で、モダンジャズへと通ずるものがあった。
彼の演奏は、チャーリー・パーカーをはじめとする後世のジャズサックス奏者に大きな影響を与えた。
ジェリー・マリガン
1927年4月6日米ニューヨーク生まれ。
ギル・エヴァンスとの出会いをきっかけにクロード・ソーンヒル楽団のアレンジを手がけ、楽団のスタイルを一新した。
その後もマイルス・デイヴィスのビッグコンボへの参加や、スタン・ケントン・オーケストラへの編曲の提供などで活躍。
チェット・ベイカーらとのピアノレスカルテットは、ジャズには鍵盤楽器が必要という常識をくつがえし、世に衝撃を与えた。
エリック・ドルフィー
1928年6月20日米ロサンゼルス生まれ。
アルト・サックスのほかにフルート、バス・クラリネットを演奏するマルチプレイヤーとしても知られている。
トラディショナルなジャズの文脈の中でフリー・ジャズという音楽スタイルを開拓した。
ブッカー・リトルやジョン・コルトレーンとの録音も有名。
ジョニー・グリフィン
1928年4月24日米シカゴ生まれ。
「リトル・ジャイアント」の愛称で親しまれており、ジャズ・メッセンジャーズやセロニアス・モンクのグループなどで演奏。
『ア・ブローイング・セッション』『ザ・リトル・ジャイアント』など代表作も名高く、その迫力があるサウンドとメロウでエモーショナルな音楽スタイルが人気。
ズート・シムズ
1925年10月29日米カリフォルニア州イングルウッド生まれ。
ベニー・グッドマン楽団を経て、ウディ・ハーマン楽団に参加。「フォア・ブラザーズ」の一人に数えられる。
スウィング様式による最強のサクソフォン奏者としてミュージシャンの間では知られており、テナーサックスの高い音域を好んで吹くのも特徴的。
ベン・ウェブスター
1909年3月27日米カンザスシティ生まれ。
ベニー・モーテン楽団やフレッチャー・ヘンダーソン楽団、デューク・エリントン楽団などで活躍後、多くのリーダー作を発表し、長年に渡って活動を展開。
堅く尖った音色と、地を這うようなユニークなアプローチが持ち味で、特にバラードで多くの名演を残している。
コールマン・ホーキンス
1904年11月21日米ミズーリ州生まれ。
ジャズ界のテナーサックス最初の巨人だったことから、”ジャズ・テナーの父”とも呼ばれている。
ブルース〜スウィング・ジャズ世代のミュージシャンとしては珍しく、後のミュージシャンに大きな影響をもたらす。
ベン・ウェブスター、レスター・ヤングとともにスウィング期の3大テナーの一人と考えられている。
ソニー・スティット
1924年2月2日米ボストン生まれ。
チャーリー・パーカーの最も優れた弟子と看做されるも、パーカーのそっくりさんとも評され、それを嫌がったスティットは、アルトサックスからテナーサックスに持ち替える。
ジーン・アモンズと二菅でテナー・チームを組んで一世を風靡するほか、多くのレコーディングに参加し、その実力はジャズの歴史的に確実。
ローランド・カーク
1935年8月7日米オハイオ州コロンバスの生まれ。
テナーサックスをはじめ、フルート、マンゼロ、ストリッチなど複数の楽器を同時に吹く異色のマルチ・リード奏者。
息継ぎの無音時間をなくす演奏技法である「循環呼吸」のパイオニア。
盲目でありながら、舞台上での超絶的な即興演奏は、形にとらわれない奔放なスタイルでジャズの伝統をしっかりと踏まえた個性的なミュージシャン。
デイヴィッド・サンボーン
1945年7月米フロリダ州タンパ生まれ。
ジャズ・フュージョン〜スムーズ・ジャズで活躍するだけでなく、ジャズフィールドに限らないセッション活動で数多くのファンを獲得。
ジャズの文脈の中で繰り広げられ、エモーショナルで歌うように奏でる音色は「泣きのサンボーン」と呼ばれ、グラミー賞獲得をはじめとする名声を獲得。
カマシ・ワシントン
1981年2月18日米ロサンゼル生まれ。
音楽一家で育ち、アレクサンダー・ハミルトン高校の音楽科を卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の音楽民族学部門へと進学。
その音楽スタイルは、ジャズの文脈の中で、ジャンルの垣根を越えたイディオムを取り入れ、LAジャズシーンを牽引。
リーダー作品はいずれもヒットを記録しており、サンダーキャット、テラス・マーティン、ロナルド・ブルーナー・ジュニア、ケンドリック・ラマー、フライング・ロータスなど数多くのアーティストとのコラボも話題を呼ぶ。
ジョシュア・レッドマン
1969年2月1日米カリフォルニア州バークレー生まれ。
ハーバード大学を主席で卒業後、出場したセロニアス・モンク・コンペティションで優勝。
米ダウンビート誌の批評家賞、ローリング・ストーン誌批評家賞、ジャズ・タイムス誌読者賞、スイング・ジャーナル誌ニュー・スター賞の初代受賞者と確実に実力と人気を獲得し、現在最も注目されているテナーサックス奏者の一人である。
まとめ
いかがだったでしょうか。
このようにジャズサックス奏者と言っても、個性あふれるミュージシャンが数多くいます。
もし、これからジャズを聴く方はこうしたミュージシャンを是非参考にしてみてはいかがでしょうか。
それではまたお会いしましょう。
Jazz2,0編集部の濱田でした。