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【紹介・解説】ジョン・コルトレーンってどんな人?

John Coltrane ジョン・コルトレーン ミュージシャン 紹介解説

こんにちは。

Jazz2.0編集部の濱田です。

サックス奏者、ジョン・コルトレーン(John Coltrane)というジャズ界に最も影響を与えたミュージシャンの1人として現在も愛され続けているジャズメンがいます。

今回は、そんなジョン・コルトレーンの生涯に迫りたいと思います。

生い立ち

ジョン・コルトレーンは1926年9月23日、ノースカロライナ州ハムレットにある両親のアパートで生まれました。

父親は洋服の仕立て業を営んでおり、他のアフリカ系アメリカ人よりは恵まれた少年時代を送っていました。

コルトレーンは、教会で音楽に出会い、そこでアルトサックスとクラリネットを覚えました。

しかし12歳の冬に、父、叔母、祖父母が立て続けに亡くなり、母親と新しい従兄弟の元で育ちます。

コルトレーンは、ノースカロライナ州ギルフォード郡にあるアフリカ系アメリカ人の学生を対象とした歴史あるウィリアムペン高校に進学します。

高校卒業後、1943年6月、コルトレーンはフィラデルフィアに引っ越し、グラノフ音楽学校に通います。グラノフの卒業生には、モダンジャズの功績者、ディジーガレスピーもいました。
そして、同じ年の9月、母親がコルトレーンにサックスをプレゼントします。

そんなコルトレーンは、製糖工場で働きながら、音楽学校に通う日々でした。

ビバップとの出会い

1945年6月5日、ジョン・コルトレーンがジャズ・ミュージシャンになる大きなきっかけがありました。

この日、チャーリー・パーカーの生演奏を初めてみて、大きな衝撃を受けたのです。

こうしてコルトレーンは即興性を重視したビバップを知り、この時の心境を1960年のDownBeat誌の記事で語っています。

しかし、第二次世界大戦が始まり、1945年8月6日、世界で最初の原子爆弾が日本に投下された日でもあるこの日に、コルトレーンは陸軍として徴兵されないように、海軍に入隊します。

そんなコルトレーンの音楽的才能は、海軍で認められ、海軍の音楽隊に入ります。

1946年8月、20歳の戦後除隊したコルトレーンは、リズムアンドブルースのバンドで経験を積みました。

この頃、すでにプロとして活動しており、ビッグ・メイベルなどのリズムアンドブルースのスターと共演していました。ドラマー、ラシッド・アリとも同じ頃、フィラデルフィアで出会っています。

こうしてコルトレーンの、歴史的なミュージシャンのキャリアがスタートしました。

経歴

プレーンな到達点 [John Coltrane "My Favorite Things" ]|七色メガネ ...

50年代初頭、アルトサックスの名手、アール・ボスティックやジョニー・ホッジスといったアルトサックスの名手たちのもとで腕を磨きました。

やがてコルトレーンは、ソニーロリンズに習い、アルトサックスをテナーサックスに持ち替えます。

Chapter43 ソニー・ロリンズ – JazzTokyo

2人は深い哲学に関心を寄せる友人であり、イスラム神秘主義やインド哲学の本などを交換し合っていたと言います。

55年には、マイルス・デイヴィスから電話を受け、コルトレーンをバンドに招きます。

このときのメンバーは、マイルス・ディヴィス、ジョン・コルトレーン、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズ

この頃に、マラソンセッション4部作と呼ばれるアルバム『Cookin’』『Relaxin’』『Workin’』『Steamin’』に参加しています。

しかし、ヘロインの悪癖に染まっていたコルトレーンは、マイルスの鉄拳をくらい、バンドは解散してしまいます。

そんなコルトレーンを引き取ったのが、ジャズピアニスト、セロニアス・モンクです。

セロニアス球僧, 肖像画, ジャズピアニスト、作曲, アフリカ系アメリカ人, 1917-1982

1957年7月〜12月の期間でモンクのカルテットに参加し、この頃に『Thelonious Monk Quartet with John Coltrane at Carnegie Hall』が録音されました。

その後、コルトレーンはマイルスのバンドに呼び戻されました。

この頃には、『Milestones』『Kind of Blue』といった歴史的名盤に参加しています。

レギュラー・バンドを結成

コルトレーンがようやく自分のバンドを結成したのは1960年のことでした。

そんなコルトレーンはコンサート同様、スタジオ録音にも並々ならぬエネルギーを注ぎました。

1962年から、メンバーはマッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズでほぼ固定され、短期間ながら数々の名盤、名演を残しました。

John Coltrane Quartet – Impressions.
John Coltrane Quartet – "My Favorite Things"

コルトレーンはアフリカ音楽やインドの音楽、アラブの音楽などのエッセンスを取り入れ音楽的な幅を広げています。これは、ジャズによって、精神世界の高みを極めようとしたとも言われています。(そのため、コルトレーンにはオーボエのような演奏スタイルがあります。)

こうした音楽の中でも、コルトレーンの音楽の根底にはブルースが流れていました。

そんなコルトレーンのテナーサックスとソプラノサックスはジャズに革命をもたらし、世界のジャズ界に大きな影響を与えました。

晩年

1965年からバンドのメンバーを一新します。

マッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズがバンドを離れ、ジミー・ギャリソンだけが残り、ファラオ・サンダース、ラシッド・アリ、アリス・コルトレーンなどのメンバーが加入します。

こうしてできたグループは演奏時間が長いことで知られており、30分から1時間を超えることもしばしばありました。

また、当時のコルトレーンの音楽ジャンルはフリー・ジャズと呼ばれています。

John Coltrane footage at Newport 1966

そしてこの新しいメンバーと共に、超短期間でアルバム20枚に相当する録音を行ったりと、創造性を縛る全てのものを取り払って、全力で走り始めます。

そして、このグループの演奏は、1966年に、東京公演にてレコーディングされた『Live in Japan』で聴くことができます。

John Coltrane – Live in Japan (Full Live Album 1966)

しかし、体を蝕むガンのことは誰にも言わず、秘密にしていました。

1967年7月17日、ジョン・コルトレーンは、ロングアイランドのハンティントン病院で、40歳のときに肝臓癌で亡くなりました。

コルトレーン・チェンジズ

Spotifyより

コルトレーン・チェンジズは、コルトレーン・マトリックスとも呼ばれる、コルトレーンが開発したコード進行です。

コルトレーン・チェンジズは、一般的なジャズコード進行に代わる代理コードで、ジャズのコード進行の中でも最も難しい進行の1つ​​であると一般的には考えられています。

12個の音を5度の循環にしたがって並べられたとき、長3度の音程を結んだ際に、三角形が浮かび上がります。

この三角形を回転させたコード進行が、コルトレーン・チェンジズの仕組みとなっています。

「ジャイアント・ステップス」や「カウントダウン」といったコルトレーンのナンバーにてこの進行が使われています。

ジョン・コルトレーンの名盤5選

My Favorite Things

My Favorite Things – John Coltrane [FULL VERSION] HQ

ジョン・コルトレーンは、ジャズの世界に、ソプラノサックスを取り入れたことでも知られていますが、この『My Favorite Things』で、それを体現しています。

1960年10月21日、22日、26日にかけて行われた大がかりなレコーディング・セッションにて本作品が生まれました。

ちなみに同じ日に収録された音源の一部は『コルトレーンズ・サウンド(夜は千の顔を持つ)』(1964年にリリースされた)などにも収録されています。

一曲目に収録されている「マイ・フェイヴァリット・シングス」は、コルトレーンのコンサートの定番曲となっています。

このアルバムは、ジャズ初心者の方が最初に聴く名盤としておすすめする人が多く、親しみやすい曲が多く収録されています。

Giant Steps

John Coltrane – Cousin Mary

『Giant Steps』は、1960年にアトランティック・レコードから発表された名盤です。

「ネイマ」のみ1959年12月2日のレコーディングで、その他は1959年4月1日、マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』の参加前後でレコーディングします。

当時、コルトレーンの演奏は、音楽評論家のアイラ・ギトラーから「シーツ・オブ・サウンズ」と呼ばれ”音を敷き詰める”ように音数が多く、目まぐるしい速度でアドリブソロが展開されます。

このシーツ・オブ・サウンズは、1曲目の『ジャイアント・ステップス』、3曲目の『カウントダウン』で楽しむことができます。

また、マンネリ化したビバップの演奏スタイルを打ち破るべく、ジャズのコード進行の中でも最も難しい進行の1つ​​である「コルトレーン・チェンジズ」と呼ばれるコード進行を開発し、自分のスタイルを確立しました。

『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』に於いて、103位にランクインしています。

A Love Supreme

John Coltrane – A Love Supreme [Full Album] (1965)

1965年に録音されたのが名盤『A Love Supreme(邦題:至上の愛)』。

セールス的にも大ヒットを記録しただけでなく、ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500で47位にランクインしており、名盤としても名高い評判を得ています。

「聖者になりたい」と言葉を残したジョン・コルトレーンが手掛けたこの作品は、最高傑作と言われることも多く、コルトレーンの代表作としては欠かせない一作となっています。

また、アメリカを代表する科学、産業、技術、芸術を研究、展示しているスミソニアン博物館のコレクションにも選ばれていたり、アメリカ国立博物館では「アメリカ史の宝」として所蔵されているなど、ジャズ史の中でも最も価値ある作品の一つとなっています。

Blue Train

John Coltrane Blue Train (Music Matters) MONO 2014

1957年9月15日、31歳の誕生日の1週間前にて録音。

コルトレーンがリーダー・アルバムとして唯一ブルーノートから発売した傑作です。

コルトレーンはこのとき、老舗ジャズ・レーベルのプレステッジと契約していました。

しかし、それでもブルーノートから本作を出した理由は、ブルーノートの創設者、アルフレッド・ライオンが、コルトレーンと専属契約を考えていた矢先にコルトレーンがプレステッジと契約してしまったため、義理を果たすためにレコーディングが決行したそうです。

Ballads

Ballads / John Coltrane Quartet

1962年にインパルス!レコードから発売された全曲レコードの作品です。

この作品は、「企画盤」と呼ばれており、会社やプロデューサーの指示に従って作ったアルバムですが、コルトレーン自身、バラードの演奏は好んでいて、この作品が生まれました。

ジャズファンからもコルトレーンのバラードの評判は非常に高いです。

ジャズの初心者におすすめの1枚としてたびたび紹介されるアルバムでもあり、コルトレーンの真っ直ぐかつ素直な音で演奏されるバラードは個人的にも非常に親しみやすく、非常に気持ちよく聴くことができます。

コルトレーンの作品としては異色作ですが、商業的にも成功し、日本ではコルトレーンのアルバムで一番売れているアルバムだと言われています。

まとめ

いかがだったでしょうか。

コルトレーンの人生は、40年と10カ月の短い生涯ですが、他のミュージシャンと比較するとコルトレーンは遅咲きな方で、非常に努力をされた方なので、個人的にはコルトレーンのことを調べれば調べるほど、自分も頑張らなければと励まされました。

そして、コルトレーンは今日も世界中のジャズファンに愛されています。