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【紹介・解説】ビル・エヴァンスってどんな人?

Bill Evans おすすめ ビル・エヴァンス ミュージシャン 紹介解説

みなさんは、ビル・エヴァンスというジャズピアニストをご存知ですか?

プロフィール

1929年8月16日米国ニュージャージー州プレンフィールド生まれのジャズ・ピアニスト。ジャズ史上最高の人気を誇る白人ピアニストとして知られる。特にスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)を従えた60年代初期のビル・エヴァンス・トリオは、かつてない高度な三位一体の演奏をしめし、ジャズのピアノ・トリオ演奏を革新させた。その後もメンバーを代えながら一貫して自己のピアノ・トリオ音楽を追求。硬派のリリシズムとダンディズムあふれる美の探究者として高い人気を得た。1980年9月15日に51歳で死去する直前までステージに立った。
(CDジャーナルより)

ビル・エヴァンスは、モダン・ジャズを代表するアーティストのひとりで、ジャズというジャンルを超えて幅広く愛されているアーティストです。

ジャズについて少しでも興味を持ったことがある人は、ビル・エヴァンスという名前を聞いたことがあるかもしれません。

漫画「坂道のアポロン」でもたびたび登場していましたね。

坂道のアポロンに出てくる曲のまとめ記事はこちら。

番場
番場

というわけで、こんにちは!

ビル・エヴァンスのアルバム「ポートレイト・イン・ジャズ」の「いつか王子様が」のイントロが終わってテーマに入る瞬間が大好きなjazz2.0編集部の番場です。

…そんなんわかるか!

ーーー「彼の死は時間をかけた自殺というべきものであった」

これは、ジャズ評論家でビル・エヴァンスと親交の深かったジーン・リースの言葉です。

壮絶な運命に立ち向かい、真剣に音楽と向かい合ったビル・エヴァンスの人生が、端的に表されています。

今回は、そんなビル・エヴァンスの人生と音楽を紹介していきたいと思います。

ビル・エヴァンスの人生

英才教育とクラシック音楽 〜幼少期

1929年8月16日アメリカ合衆国ニュージャージー州プレインフィールドにビルは生まれました。

ロシアからの移民の母と、身分の高いウェールズ出身の英国人を父に持ち、裕福な家庭で英才教育を受けました

音楽好きだった父親は、ビルに6歳でピアノ、7歳でヴァイオリンとフルートのレッスンを受けさせ、10歳になる頃にはモーツアルトを弾きこなすほどの腕前だったようです。

また、ロシア系の母親の影響もあってか、幼い頃からラフマニノフストラヴィンスキーなどのクラシック音楽に親しんでいました。

ストラビンスキー ペトルーシュカ – Stravinsky Three Movements from Petrouchka

ジャズとの出会い 〜学生時代

高校を卒業すると、サウス・イースタン・ルイジアナ大学とマンヌ音楽学校で音楽を専攻し、作曲とクラシックピアノを学びました。

この頃には、兄とともにジャズに興味を持ち始めていて、ジャズのアマチュアバンドを組んで音楽活動をしていたようです。

学生時代は、アマチュアバンドの他にも、ダンス会場や結婚式の演奏への参加や、プロのバンドのエキストラ演奏をするなど、充実した音楽生活を送っていました

1962年にリリースされたアルバム「ムーン・ビームス」に収録された楽曲「Very Early」は、学生時代に作曲した曲です。

Bill Evans Trio – Very Early

軍役

1951年になると、アメリカ陸軍に召集され、軍隊に所属しました。

兵役中は、陸軍バンドでの演奏の機会もあり、戦争の前線に立つこともなかったようですが、そのストレスは大変なものであったようで、この頃から麻薬の常習が始まりました。

ニューヨークでの音楽活動

1954年に兵役を終えると、ジャズ・ムーブメントの本拠地ニューヨークへと移り、本格的な音楽活動を始めました。

幼い頃から音楽教育を続けてきたビルの音楽技術は、伝統的・前衛的の両方のスタイルに対応することができ、クラシックピアノの影響を色濃く受けた演奏はニューヨークでも注目を集めました。

しかし、当時のジャズミュージシャンのほとんどはアフリカ系アメリカ人だったため、スラヴ系とウェールズ系の血を引くビルは圧倒的な少数派として、人種的な疎外感を感じていました。


カインド・オブ・ブルー

そんなとき、ビルの人生を大きく変える出会いがありました。

マイルス・デイヴィスのバンドへの参加です

マイルス・デイヴィスは、音楽に対してどこまでも真剣で、人種や性格などを度外視して、白人がひとりもいないバンドの中にビルを採用しました。

そして、ジャズの歴史に大きな影響を与えたといわれるアルバム「Kind of Blue」の録音に参加し、マイルスとともにモード・ジャズという新しい試みに挑戦することになったのです。

「Kind of Blue」に収録されている「Blue in Green」は、本作ではマイルス・デイヴィスのクレジットになっていますが、実際にはビル・エヴァンスが提供した曲と言われています。

「Kind of Blue」には、アドリブや作曲などにビル・エヴァンスのアイディアが多く取り入れられているため、モード・ジャズの在り方に大きな影響を与えていると言えます。

Blue in Green by. Miles Davis

経歴だけ見れば順風満帆なように見えますが、内状は全然違いました。

マイルスは「俺は音楽ができるヤツなら肌が緑色のヤツでも雇う」と言ってのけるほど、人種の違いなど物ともしなかったようですが、他のバンドメンバーやバンドのファン達においては、そうはいかなかったのです。

繊細な性格のビルは、バンドメンバーによる差別や、マイルスのバンドに白人が加わることを非難する声に耐えることができず、そのストレスを麻薬の常習によって抑えていました。

当然そんな状態でバンドを続けることはできず、マイルスのバンドを脱退しました。


インター・プレイ

マイルスのバンド脱退後は、ドラマーのポール・モチアン、ベーシストのスコット・ラファロとともにピアノトリオを結成しました。

このピアノトリオはファースト・トリオと呼ばれ、即興的で独創的なメンバー同士のインター・プレイが最高の評価を受けている、歴史に名を刻む名トリオです。

インター・プレイというのは、メンバー同士がお互いに触発しあい、共鳴したり、ぶつかり合ったりしながら演奏することで、ファースト・トリオの自由で革新的なインター・プレイはピアノトリオの新たな可能性を見出しました。

相性抜群の3人の音が交じり合う演奏は奇跡的で、特にベースのスコット・ラファロはビルの生涯最高のパートナーと言われています。

Scott LaFaro with the Bill Evans Trio at the Village Vanguard – My Man's Gone Now

ビルはこの頃、今後10年以上付き合いを持つことになるエレインという女性にも出会っており、仕事もプライベートも充実した人生の絶頂期でした。


スコット・ラファロの死

しかし、幸せな時間は突如として終わりを迎えました。

1961年、ベーシストのスコット・ラファロが交通事故で亡くなってしまったのです。

享年25歳でした。

最高のパートナーを失ったビルは、ショックでピアノの前に座ることすらできなくなってしまい、半年もの間ステージから姿を消しました

ピアノトリオ復活

ビルは彼女エレインの支えもあって、徐々に演奏を再開していき、翌年にはピアノトリオ演奏活動を復活させることになりました。

スコット・ラファロの後任にとして参加したチャック・イスラエルも、ビルの気まぐれ的な演奏に反応して音を出すといったインタープレイを行ったけれど、やはりスコット・ラファロとの相性に匹敵することはありませんでした。


また、この頃のビルの薬物の常習は前にも増してひどくなっており、1963年のヴィレッジ・ヴァンガードのライブでは、右手の神経にヘロインの注射を刺したため、右手がまったく使えなくなってしまって左手のみで演奏するという事件がありました。

ビルがアルバムのジャケットなどの写真で口を固く閉じたまま撮影をするのは、喫煙と麻薬の影響でひどい虫歯になっていたためだと言われています。


そして、1966年にエディ・ゴメスを新しいベーシストとしてメンバーに迎えました。

当時21歳であったエディ・ゴメスは、若くても優れたテクニックを持っており、なんと言ってもビルの演奏への反応がとても速かったのです。

そして、積極的なインタープレイでビルに気に入られたエディ・ゴメスと、1969年に加わったドラマー、マーティ・モレルによる新メンバーのトリオが誕生しました。(セカンド・トリオ)

セカンド・トリオは、歴代のビル・エヴァンス・トリオで最も長く続いたバンドで、多くの音源が残されています。

エレインの自殺

そんな矢先、ビルは新たに知り合った女性ネネットと結婚するため、10年以上にわたって交際していたエレインに別れ話を持ちかけました。

その数日後、エレインは地下鉄へ身を投げて自殺してしまいました

ビルの一方的な意思による別れ話であったために、ビルはショックと自責の念に駆られることになりました。

アルバム「Intuition」に収録されている「Hi Lili,HiLo」は、不幸な形で亡くしてしまったエレインに捧げられた曲です。

Bill Evans – Hi Lili, Hi Lo

エレインの死をきっかけにビルの生活はどんどん悪化していき、メンバーも次々と入れ替わるようになり、トレードマークだったオールバックをやめ、ボサボサの頭にひげをたくわえるようになりました。

これは一説によると、不健康な顔を隠すためだったのではないかと言われています。

最終的には、ベースのマーク・ジョンソン、ドラムのジョー・ラバーバラとのトリオ(ラスト・トリオ)に落ち着きましたが、今までの静かで美しいプレイスタイルとは打って変わって、荒々しくも大きなスケールで、明るくダイナミックな演奏をするようになりました。

Bill Evans Trio – Rome 1979 – My Romance

兄ハリーの自殺

追い討ちをかけるように、1979年に幼い頃から音楽を一緒にやってきた兄が拳銃で自殺しました。

ビルの生活は、取り返しのつかないほどに荒れ果てて、家族とも別居していましたが、意地をはっているかのように音楽活動だけはやめませんでした。


ビルの最期

そして、1980年9月9日ニューヨークのライブハウス「ファッツ・チューズデイ」での演奏がビルの最後の演奏となってしまいました。

晩年のビルは、医者に入院を勧められるほど衰弱していたが、ビルがそれに応じることはなかったそうです。

「彼には生きる意志が全くないように思えた」

とビルの診察を行った医師は証言しています。


こうして、ビルの”時間をかけた自殺”は終わったのでした。

功績

プレイスタイル

クラシック音楽を背景に持つビル・エヴァンスのプレイスタイルは、黒人音楽としてのイメージが強かったジャズに、新たな可能性を提示しました

当時のジャズピアニストの多くは、バド・パウエルのように常にフォルティシモで速いパッセージを弾きまくる王道のビバップスタイルが主流でした。

そんなジャズシーンの中で、ビバップスタイルを踏襲しつつもクールジャズのような、繊細で美しいタッチを共存させたビル・エヴァンスの演奏は新しかったのです。

番場
番場

個人的に、ビル・エヴァンスのコードの弾き方は新しく、美しいと思います。

右手で弾くメロディやアドリブソロの音によって、適切に音を選んで同期させるように変形していくコードの弾き方には、完成された芸術性を感じます。

Kind of Blue

アルバム「Kind of Blue」は、モード・ジャズという新しいジャズの形を創り出したことから、ジャズの歴史上で最高のアルバムと言われていますが、ビル・エヴァンスはこの作品の完成にも大きく貢献しました。

名義上は、収録曲の全てがマイルス・デイヴィスの作曲となっていますが、「Blue in Green」はビル・エヴァンスが作曲したものだと言われています。

「Flamenco Sketches」もビル・エヴァンスのアイデアをもとに作られていて、レナード・バーンスタインの曲「Some Other Time」の冒頭パートをもとにビル・エヴァンスが即興演奏した「Peace Piece」を原型にして作られた曲です。

「Kind of Blue」に多くのアイディアを提供したという点で、モード・ジャズという新しいスタイルの形成にも大きく貢献していると言えます。

また、「Kind of Blue」は、米議会図書館が保存する「ナショナル・レコーディング・レジストリ(アメリカの録音遺産登録)」にも選出され、アメリカの文化・芸術史上、きわめて重要な録音物とされています。

リバーサイド四部作

ビル・エヴァンス、スコット・ラファロ、ポール・モチアンによるピアノトリオで制作された「Portrait in Jazz」「Explorations」「Sunday at the Village Vanguard」「Waltz for Debby」の4作品は、”リバーサイド四部作”と呼ばれ、現在でも高い評価を受けています。

リバーサイド四部作の特徴はなんと言っても、自由で独創的なメンバー間でのインター・プレイで、その刹那的な個性のぶつかり合いは唯一無二です。

特に、アルバム「Waltz for Debby」は日本でとても人気で、雑誌スイングジャーナルで「読者が選ぶ名盤ベスト100」1位を獲得しました。

さらに、2015年にユニバーサルミュージックの企画「ジャズの100枚。」で厳選した100枚のジャズの名作を再販した際には、「Waltz for Debby」が圧倒的な数で売り上げ1位を記録しました。

「Waltz for Debby」について、作家村上春樹もこう語っています。

村上春樹
村上春樹

〜前略〜どのトラックも素晴らしいけれど、僕が好きなのはMy Foolish Heart。甘い曲、確かにそうだ。しかしここまで肉体に食い込まれると、もう何も言えないというところがある。世界に恋をするというのは、つまりはそういうことではないか。

引用元「ポートレイト・イン・ジャズ」(新潮文庫)/村上春樹・和田誠著

おすすめ楽曲

Waltz for Debby

Bill Evans – Waltz For Debby

ビル・エヴァンスの曲の中でも圧倒的な人気を誇る曲です。

当時2歳だった姪デビイのために作った曲で、3拍子のワルツから始まり4拍子のスウィングへと変化します。

曲の美しさもさることながら、ファースト・トリオによる素晴らしいインタープレイが目立つ名曲で、特にスコット・ラファロのベースソロは必聴です。

My Foolish Heart

Bill Evans Trio – My Foolish Heart

この曲もアルバム「Waltz for Debby」に収録された曲です。

ビルの繊細でもの悲しく美しい演奏が際立つ名曲です。

壮絶なビルの人生を思い浮かべながら聴くと、涙を堪えることができません。

Peace Piece

Bill Evans "Peace Piece"

「Peace Piece」は、レナード・バーンスタインの曲「Some Other Time」の冒頭パートをもとにビル・エヴァンスが即興演奏したものを録音してつくられた作品です。

たった2つのコード進行だけで構成されており、そこにはテーマらしきものもなく、ビル・エヴァンスの自由な表現空間だけが存在しています。

かなり前衛的な作品で、演奏の中にクラシックの影響のようなものを感じとることができます。

Blue in Green

Blue in Green by. Miles Davis

こちらは、マイルス・デイヴィスのアルバム「Kind of Blue」に収録されている作品です。

モード・ジャズという新しいスタイルを確立したこのアルバムは、ビル・エヴァンスを語る上でも避けられません。

Milestones

Bill Evans Trio – Milestones

ビル・エヴァンストリオの「Milestones」は、この記事の編集者である番場が個人的に好きな演奏でもあります。

この演奏の中には、ファーストトリオのメンバー間でのインター・プレイモードジャズという新しいジャズのスタイル、ビル・エヴァンスの繊細な美しさと悲しさ、その全てが詰まっていると思います。

ぜひ、ビル・エヴァンスの人生や功績を思い出しながら聴いてみてください。

まとめ

いかがだったでしょうか?

ビル・エヴァンスというアーティスト、ひいてはジャズという音楽について、少しでも理解を深めていただけたなら幸いです。

他のアーティストの紹介記事もあるので、ぜひご覧ください!

Jazz2.0編集部の番場でした!