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【紹介・解説】ルイ・アームストロングってどんな人?

Louis Armstrong ミュージシャン ルイ・アームストロング 紹介解説

こんにちは。

Jazz2.0編集部の番場です。

「ジャズはあまり詳しくない」

という人でも、ルイ・アームストロングという名前だけは聴いたことがあるのではないでしょうか。

目が大きくて、口がデカい、ガラガラ声の、マスコットキャラみたいなおじさんです。笑

今回は20世紀を代表するジャズ・ミュージシャン、ルイ・アームストロングについて、紹介していきたいと思います。

ルイ・アームストロングの功績

ルイ・アームストロングの生み出した名曲

ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」は誰もが一度は聴いたことがあると思います。

あの個性的なダミ声は、一度聴いたら忘れないほどの強烈なインパクトを持っていますよね。


あのテレビでもよく真似されているやつです。

他にもフランスのシャンソン音楽をジャズ風にアレンジした「バラ色の人生」やディズニーの曲を取り上げた「サッチモ・シングス・ディズニー」など、ジャンルにとらわれず数々の名作を生み出しました。

BGMとかでよく聴く、ディズニーのジャズアレンジの先駆けですね♪

さらに、「ハロー・ドーリー!」は1964年に全米ナンバー1を獲得し、当時ヒットチャート1位を独占していたビートルズの記録をストップさせるほどの人気を誇ります。

Louis Armstrong – When You Wish Upon A Star (Buena Vista Records 1968)

スキャットの生みの親

ジャズの曲を聴いていると、ヴォーカリストが「ドゥビドゥバ」「シャバドゥビ」のように歌詞のない歌を歌うことがあります。

これがスキャットです。

このスキャットという手法を生み出したのが、ルイ・アームストロングと言われています。

適当な歌詞で歌ったものをレコーディングしちゃうって、ある意味すごいです、、、

ルイ・アームストロングがレコーディング中に歌詞カードを落としてしまい、適当な歌詞で歌ったものが予想以上に良い出来で、そのままアルバムにしてしまったのが始まりでした。

それをきっかけにして、管楽器奏者がアドリブソロを取るようにヴォーカリストもスキャットでソロを取るようになったと言われています。

こんなアクシデントが後世に残る偉業になるなんて、、、何が起きるかわかりません。
(最近は、偶然ではなくわざとやったという説もあるみたいです。)

Louis Armstrong Scatting

トランペット奏者ルイ・アームストロング

ルイ・アームストロングは、ジャズ・ヴォーカリストとしての印象が強いですが、彼はもともとはトランペット奏者です。

彼のトランペットの腕は、現在でも引けを取らないと言われるほどのものでした。

ルイ・アームストロングのトランペットのテクニックについて、ウィントン・マルサリスも「色々なトランペット奏者の良い所を盗もうとしたけど、アームストロングだけは盗めなかった。とにかく凄すぎるからさ」とコメントするほどです。

ルイ・アームストロング以降のジャズ・トランペッターの多くが、彼の影響を受けていると言っても過言ではないでしょう。

役者や文学、人種差別への抵抗

ルイ・アームストロングは、ミュージシャンとしてだけではなく、役者、文学、政治的思想の分野にも大きな影響を与えました。

役者としては、『上流社会』『ハロー・ドーリー』などの作品に出演しており、なかでも『5つの銅貨』という作品は、
『ウエスト・サイド物語』でアカデミー撮影賞を受賞したダニエル・L・ファップが撮影を、
生涯で8回のアカデミー衣裳デザイン賞を受賞したイーディス・ヘッドが衣装を手掛け、
アカデミー歌曲賞、作曲賞、撮影賞、衣裳デザイン賞にノミネートされるほどの作品となりました。

ルイ・アームストロングは、文筆の世界でも才能を発揮し、『Swing That Music』『Satchmo – My Life in New Orleans』『In His Own Words』といった作品を残しました。

ルイ・アームストロングは、人種差別に対する意思表明をおこなったアーティストでもありました。

黒人への人種差別が過激になっていた1957年、公民権運動の発端にもなるリトル・ロック高校事件がおきました。
その際に、ルイ・アームストロングは、事態を解消することができない大統領に抗議して、政府主催のソビエトへの親善ツアーをキャンセルしました。


当時、批判の激化をおそれた多くの黒人のアーティストが人種差別への抗議を表明できなかった状況での行動でした。


他にも、ベトナム戦争に対して「この素晴らしき世界」をリリースしたり、アカデミー賞を辞退したり、行動によって政治的な意思表明をおこなっています。

功績

すぐれたエンターテイナーとしての功績に対する評価は絶大なもので、

1999年LIFE誌が選ぶ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」へ選出されたことや、

ジャズ演奏者として初めて「TIME」の表紙を飾ったことなどがそれを物語っています。

ルイ・アームストロングがジャズを人気音楽にしたことで、

ジャズのあり方を確立して以降のジャズ史を方向付けたことも偉大な功績のひとつです。


それが「ルイ・アームストロングはジャズの原点」と言われる所以です。

マイルス・デイヴィスは、「アームストロングは喋りまでジャズになっている」と表現しています。

ルイ・アームストロングの生い立ち

貧乏のどん底に産まれる

ルイ・アームストロングは1901年8月4日ニューオリンズのストーリー・ヴィルに生まれました。

当時のストーリー・ヴィルは、港町として栄えた政府公認の売春地域でした。

16歳のときにルイを産んだ母親は、幼い子供のためにストーリー・ヴィルで娼婦として働いていたようです。

父親は日雇いの現場で働いており、ほとんど家に帰ってくることはなかったと言われていますが、彼の父親がどこの誰なのかはわかりません。

食べるものも何もなく、人種差別が平然とはびこり、ナイフや拳銃が飛び交うような世界でどん底の生活をしていた、そんな幼少期でした。

人種差別と優しい白人

7歳のルイ少年は、日銭を稼ぐために石炭を運ぶ仕事につきました。

荷馬車で石炭を運ぶ際、彼はブリキのラッパを吹いてお客に荷が届いたことを知らせていたようです。
まだ音楽と呼ぶには似つかわしくないですが、これが彼のトランペットの原点なのかもしれません。

仕事の現場では、黒人たちが蔑まれ、奴隷としてこき使われていることを体感しました。

ルイの祖父らは奴隷としてアメリカ大陸に運ばれて過酷な労働を強制されていた人たちで、奴隷制度が廃止されたあとでもその名残りは色濃く残っていました。

そんな劣悪な環境のなかで、黒人であるルイに親切にしてくれる白人に出会いました。

石炭運びの仕事の雇い主であったロシア系ユダヤ人のカーノフスキー一家でした。

彼らはルイを、住み込みの子守として雇い、家や食事を融通するなど、親切に面倒を見ていました。

ルイはそこで初めて人間が平等であることを知ったと語っています。

少年院でのトランペットとの出会い

そんな環境で育ったルイは、ある日拳銃の発砲事件で逮捕されて、少年院に入れられることになりました。
発砲事件と言っても、遊びが度を超えて発砲してしまっただけで、人に向けて撃ったものではなかったようです。

そして、その少年院の更生プログラムの一環として、ブラスバンドでコルネットを吹くことになりました。(コルネットは、トランペットによく似た管楽器のこと)

それをきっかけに、ルイは音楽へと傾倒していったのです。

ジョー・キング・オリバーとの出会い

ちょうどその頃、ニューオリンズで大人気のバンドのリーダーでもあるジョー・キング・オリバーというコルネット奏者がストーリー・ヴィルで演奏していました。

ルイは、石炭運びの仕事で酒場に行くたびに、店の近くでオリバーの演奏を聴いていたそうです。

何度も演奏を聴きに来るルイは、やがてオリバーにも認識され、師弟のような仲になっていきました。

ルイ・アームストロングは後に、

「僕はジョー・オリバーが大好きだった。ジョー・オリバーと道に出くわした時は、教わるチャンスなんだ。ここはどうやるのって聞くと、必ず立ち止まって教えてくれた。他の連中とは大違い」

と語っています。

第一次世界大戦

ルイの音楽キャリアがいよいよ始まったと思った矢先、1914年に第一次世界大戦が始まりました。(ルイが13歳の時でした。)

戦時中、ルイの住んでいたニューオリンズは軍港として使われることとなり、ストーリーヴィルは閉鎖されてしまいました。

当然、ジャズが演奏されていた酒場やクラブも閉店へと追い込まれ、そこに住んでいる人々は北へと移動する他ありませんでした。

また当時、工業都市であったシカゴへ向かう列車は、毎日南部から職を求めて旅たつ黒人でいっぱいだったようです。

このとき、ジョー・キング・オリバーのバンドも例外ではなく、活動の拠点をシカゴへと移すことになりました。

クレオールジャズバンド

そんなとき、ルイのもとに、シカゴへと旅立ったジョー・キング・オリバーから一件の電報がありました。

「シゴトアリ。週給30ドル、スグコイ。」

こうしてルイは、ジョー・キング・オリバーがリーダーを務める大人気バンド「クレオールジャズバンド」のメンバーとなったのです。

幼い頃からジョー・キング・オリバーの演奏を聴いていたルイは、楽譜を見なくても演奏できるほどにオリバーの演奏を的確に捉え、完璧なデュエットを完成させました。


そんな2人の”名コンビ”はたちまち評判になり、町中の噂になるほどまでの人気を博しました。

初めてのレコーディング

クレオールジャズバンドの噂は、白人の間にも広まるようになり、レコーディングをすることが決まりました。

「Chimes Blues」

これがルイ・アームストロングの初めてのレコーディング作品になります。

King Oliver – Chimes blues

通常のレコーディングでは、トランペットを中心にして、その周りにバンドを配置する形で録音されるのですが、

ルイの音は大きすぎてレコーディング室のドアの外の廊下に立って演奏したそうです。

ルイの迫力があって堂々とした演奏は、強烈なソロプレイヤーがバンドを引っ張っていく、

これからの時代のジャズの前兆であったと言えます。

ニューヨークへ

レコーディングの成果もあってか

「クレオールジャズバンドに若い天才トランペッターがいる」

という噂は、シカゴだけにはとどまらず、州を超えてニューヨークにまで届きました。

その噂を聴きつけてルイにオファーを出したのは、フレッチャー・ヘンダーソン楽団でした。

フレッチャー・ヘンダーソンはピアニストであり、バンドリーダー、作曲家、編曲家としてビッグバンドジャズを牽引してきた「ビッグバンド・ジャズの父」と呼ばれるほどの人物です。

ルイはそのオファーを受け、師匠であるジョー・キング・オリバーのもとを離れてニューヨークに旅たつことを決心しました。

田舎者のルイは大都会ニューヨークの人から見ると、服装や振る舞いが地味に見えたようですが、

ひとたびトランペットの音を出すと、観客を圧倒するようなオーラを放ちました。

このようにしてルイは、フレッチャー・ヘンダーソンのもとでスウィング・ジャズのプレイスタイルを身につけ、演奏に磨きをかけていったのです。

大人気エンターテイナー”サッチモ”

その後は、自身のビッグバンドの他に、少人数バンド「Hot Five」を結成し、ビッグバンドにはできない表現にも挑戦しました。

スキャットを用いたヴォーカルが初めて録音されたのも、このバンドでした。

ヴォーカリストとしてのキャリアが始まると、

ルイが大きく口を開けて歌う様子を「satchel mouth(がまぐち)」と表現したことから、

「サッチモ」という愛称が付けられ、親しまれるようになりました。

(由来は諸説あります。)

それ以後も「What a Wonderful World」や「Hello, Dolly!」などの名作を生み出したり、

007シリーズの第6作「女王陛下の007」の挿入歌を担当したり、

ベッシー・スミス、エラ・フィッツジェラルドなどのアーティスト共演したり、

様々な活動をしました。

その活動の幅は、音楽だけにとどまらず、俳優として映画に出演、自伝を執筆するなど、エンターテイナーとして多岐に渡って活躍しました。

おすすめの楽曲

「この素晴らしき世界」What a Wonderful World

説明する必要もないほどの、誰もが認める名曲。


音楽プロデューサーでもあるボブ・シールがベトナム戦争を嘆き、平和な世界を夢見て作詞・作曲した曲。

・全英チャート4週連続1位を記録。

・1987年、ベトナム戦争を題材にした映画『グッドモーニング, ベトナム』のBGMとして起用され、アメリカでリバイバルヒット。

・日本でも多くのCMや映画に起用されている。

「ハロー・ドーリー!」Hello, Dolly!

1964年に全米ナンバー1を獲得し、当時ヒットチャート1位を独占していたビートルズの記録をストップさせた歴史的名曲。


ルイの持ち前の明るさやエンターテイナーとしての精神が、非常によく表れた作品になっている。


同名映画の主題歌にもなっており、その映画にはルイ・アームストロングがオーケストラのリーダー役として出演している。

Louis Armstrong – Hello Dolly

「バラ色の人生」La Vie en Rose

「バラ色の人生」La Vie en Roseは、1946年エディット・ピアフ作詞、ルイギ作曲のシャンソン歌。

ルイ・アームストロングが歌ったレコードは大ヒットし、以後多くのジャズアーティストがカバーするスタンダードナンバーとなりました。

冒頭のトランペットによるメロディは、ルイ・アームストロングの力強く明るい、豊かな音色がよく表れています。

La vie en rose – Louis Armstrong

まとめ

いかがだったでしょうか。

貧困と差別の中で育ったにもかかわらず、明るいエンターテイナーとして振る舞うルイ・アームストロングの姿には、感動をかくせません。

アーティストのバックグラウンドを知ると、その表現をより深く味わうことができます。


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