【ビリー・ホリデイ】その生涯やおすすめアルバム、奇妙な果実と人種差別

ビリー・ホリデイというアーティストを知っていますか?

ビリー・ホリデイは、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルドと並んで女性ジャズ・ヴォーカリストの御三家に数えられるアメリカのジャズ・シンガーです。

聴く人の心に訴えるようなアジのある歌声の背景には、その壮絶な人生と人種差別への強い怒りがありました。

というわけで、こんにちは!
Jazz2.0編集部の番場です。

番場海史
ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」を聴くと、黒人のリンチ殺人事件の情景がうかんできて、人間の残酷さを思い起こします。
肌の色が違うだけで、人間はこんなにも残酷なことができるものなのかと。
黒人と白人とアジア人と...その間に一体どれほどの違いがあるというのでしょうか。

今回は、「ビリー・ホリデイってどんな人?」という疑問にお答えすべく、彼女の生涯、おすすめのアルバム、楽曲「奇妙な果実」や人種差別との関わりについて解説していきたいと思います。

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ビリー・ホリデイってどんな人?

基本情報

出生名:エリノラ・フェイガン・ゴフ
    (Eleanora Fagan Gough)
生誕:1915年4月7日
出身地:アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア
死没:1959年7月17日(44歳没)
ジャンル:ジャズ
職業:歌手
活動期間:1935年〜1959年

(Wikipedia より)

ビリー・ホリデイは、1915年生まれのアメリカのジャズ歌手です。
サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルドと並んで女性ジャズ・ヴォーカリストの御三家に数えられます。

他の御三家2人に比べると知名度は低いですが、不幸な境遇に苦しめられながらも人種差別や性差別と戦い続けたことが評価されています。

ビリー・ホリデイが高く評価されたのは彼女の死後のことで、2000年にロックの殿堂入り、2003年に「Qの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」第12位に選出され、現在では20世紀で最も偉大なアーティストのひとりとされています。

ビリー・ホリデイの生涯

生まれ

生誕

1915年4月7日アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモアで、19歳の母、17歳の父のもとにエレオノーラ・フェイガン(ビリー・ホリデイ)は産まれました。
2人は結婚しておらず、ジャズ・ギタリストとして活動していた父クラレンス・ホリデイは、ビリーが産まれると、養おうとはせず捨てて逃げてしまったようです。
そのため、ビリーの母は売春によって生計をたて、ビリーは母の親族の家を転々として暮らすことになりました。

苦しい生活

従姉妹からの虐めに耐えながらの生活は苦しいものでした。
またある日、曽祖母がビリーを抱いて寝かしつけた際にそのまま息を引き取ってしまい、死後硬直によって首を締められてしまうという事件がありました。
ビリーはそのショックから心的外傷後ストレス障害によってしばらくの間、無言症を患い一切口を聞くことができなくなりました。

警察による保護を受ける

学校に全く通うことができなくなってしまった9歳のビリーは、少年裁判所に連れ出され、親の保護が充分でないとして黒人向けのカトリック寄宿学校に入ることになりました。
9ヶ月間の保護ののち、仮釈放という形で母に引き取られることになり、ビリーは学校を中退して母のオープンしたレストランを手伝い始めました。

しかし、ビリーが11歳のとき、隣人の男性にレイプされかけるという事件が起こりました。
ビリーはすぐに医師の診断を受け、犯人は逮捕されましたが、再びカトリックの寄宿学校で保護されることになりました。

歌手としての成功

ニューヨークへ移住

ビリーが寄宿学校を出て母のもとに帰ると、共にニューヨークへと移りました。

母が売春の仕事をしている間、ビリーはハーレムの非合法ナイトクラブに出入りするようになりました。
そこでビリーは歌の才覚を発揮し、様々なクラブを渡り歩いて歌の仕事をするようになりました。

父との再会

当時、父クラレンス・ホリデイはニューヨークでジャズ・ギタリストとして活動していたため、ビリーとも再会を果たしました。
父がビリーのことを男らしい見た目をからかうように「ビル」と呼んでいたことから、エレオノーラは「ビリー・ホリデイ」と名乗るようになりました。

コロムビア・レコードからのスカウト

クラブでの歌手活動を続けていたある日、たまたまビリーの歌を聴いたコロムビア・レコードのプロデューサーにスカウトされ、後にスウィングジャズの代表格となるクラリネット奏者ベニー・グッドマンとのセッションが企画されました。
ビリーの歌の才能は認められ、その後もレスター・ヤング、デューク・エリントンといった才能のあるミュージシャンとの共演、ベストセラーシングル「What a Little Moonlight Can Do」のリリースなどを経て、ニューヨークの大人気歌手となっていきました。

レスター・ヤングとの交流

特に、当時のニューヨークで最も人気なサックス奏者レスター・ヤングとの仲が良く、レスターはビリーのことを「レディ・デイ」と呼び、ビリーはレスターのことを「プレジデント」「プレズ」などと呼ぶほどの信頼関係ができていました。

人種差別と堕落

人種差別

やがてビリーは、アーティ・ショウ楽団との共演をすることになりました。
黒人が白人のバンドに加わるということは前代未聞の試みでした。
しかし、黒人への差別意識の強い南部の州では、共演することが拒否されるどころか、白人と同じホテルに泊まることも、同じレストランで食事をすることもできませんでした。

父の病気

そんなある日、ビリーの父がテキサス州ダラスで肺炎を発症しました。
ダラスは南部でも人種差別が最も激しい都市で、ビリーの父を治療してくれる病院は見つからず、父は死去しまいました。

肺炎が父を殺したのではない。テキサス州のダラスが父を殺したのだ。

『奇妙な果実ービリー・ホリデイ自伝』より

飲酒と薬物

この頃から、大量の飲酒と薬物の乱用が酷くなっていきました。

その結果、ロイ・エルドリッジ、アート・テイタム、ベニー・カーター、ディジー・ガレスピー等のアーティストと共演をし、アーティストとして大成功する裏で、薬物に飲まれ「契約を守らない」「よく舞台に遅れる」「歌詞を間違える」といったことが起きるようになりました。

母の急死

さらに、母の死によって鬱状態に陥って、アルコールと薬物への依存が強まりました。
そして、麻薬不法所持によって逮捕され、2度に渡って刑務所に服役し、ニューヨークでの労働許可を剥奪されることになりました。

出所後は、クラブとの契約条件は不利になり、ギャラも減らされ、関係を持ったギャングに金を持っていかれ、暴行まで受けていました。
また、レコーディング中、歌をリズムに合わせられなくなり、レコード会社から契約を切られました。

再起

西海岸へ移住

ニューヨーク以外の都市で働き口を探すことになったビリーは、最終的に西海岸に落ち着きました。
西海岸では、ヴァーヴ・レコードと契約し、アルバム『ビリー・ホリデイ・シングス』をリリースするなど、順調に活動を再開しました。

ヨーロッパツアーの成功

そして1954年、ビリーはかねてからの夢だったヨーロッパツアーを実現させました。
ツアーは大成功し、帰国後は酒や薬物に負けず、ニューポートジャズフェスティバルやチャーリーパーカー追悼コンサートへの出演、ヴァーヴレコードからのアルバム『ミュージック・フォー・トーチング』をリリースするなど、再び名声を取り戻していきました。

最期

再び逮捕される

しかし1956年、ビリーは再び麻薬不法所持によって逮捕されました。
判決が決まり、12ヶ月間の執行猶予中に『レディ・イン・サテン』をリリースするも、酒と薬物によって声は枯れ、以前のように歌を歌うことはできなくなっていました。
さらに、2度目のヨーロッパツアーを行ったものの、イタリアでは野次によって迎えられ、公演を途中で切り上げる結果となりました。

レスター・ヤングの死去

1959年には、親交の深かったサックス奏者レスター・ヤングが死去しました。
彼の埋葬の際にビリーが歌を歌おうとするのを、レスター・ヤングの妻に拒絶されたそうです。

逝去

そのわずか2ヶ月後、ビリーは自宅で倒れ、入院しました。
入院中も隠れてタバコや酒の常習を続け、さらにはビリーの所有物の中から麻薬が発見され逮捕されることになりました。
そして、裁判のために容態の回復を待っている途中で力尽きました。
44年の生涯でした。

おすすめのアルバム

Billie Holiday

基本情報

収録:1952年4月1日、1954年4月14日
リリース:1954年
レーベル:Clef Records

メンバー

A面、B面1曲目
Billie Holiday (Vocals)
Flip Phillips (Tenor sax)
Charlie Shavers (Trumpet)
Oscar Peterson (Piano)
Barney Kessel (Guitar)
Alvin Stoller (Drums)
Ray Brown (Bass)

B面2曲目〜
Billie Holiday (Vocals)
Charlie Shavers (Trumpet)
Oscar Peterson (Piano)
Herb Ellis (Guitar)
Ed Shaughnessy (Drums)
Ray Brown (Bass)

収録曲

1.Yesterdays
2.I Gotta Right to Sing the Blues
3.I'll Be Seeing You
4.I'll Get By(As Long As I Have You)
5.I Cover the Waterfront
6.Lover, Come Back To Me
7.Strange Fruit
8.He's Funny That Way
9.How Am I to Know
10.Fine and Mellow
11.My Old Flame
12.On the Sunny Side of the Street

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Music for Torching

基本情報

収録:1955年8月23日、25日
リリース:1955年
レーベル:Clef Records

メンバー

Billie Holiday (Vocals)
Harry "Sweets" Edison (Trumpet)
Benny Carter (Alto saxophone)
Jimmy Rowles (Piano)
Barney Kessel (Guitar)
John Simmons (Bass)
Larry Bunker (Drums)

収録曲

A面
1.It Had to Be You
2.Come Rain or Come Shine
3.I Don't Want to Cry Anymore
4.I Don't Stand a Ghost of a Chance with You

B面
1.A Fine Romance
2.Gone with the Wind
3.I Get a Kick Out of You
4.Isn't This a Lovely Day?

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Velvet Mood

基本情報

収録:1955年8月23日、25日
リリース:1956年
レーベル:Clef Records

メンバー

Billie Holiday (Vocals)
Benny Carter (Alto saxophone)
Harry "Sweets" Edison (Trumpet)
Jimmy Rowles (Piano, Celesta)
Barney Kessel (Guitar)
John Simmons (Bass)
Larry Bunker (Drums)

収録曲

A面
1.Prelude to a Kiss
2.When Your Lover Has Gone
3.Please Don't Talk About Me When I'm Gone
4.Nice Work If You Can Get It

B面
1.I Gotta Right to Sing the Blues
2.What's New?
3.I Hadn't Anyone Till You
4.Everything I Have Is Yours

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Lady Sings the Blues

基本情報

収録:1954年9月3日、1956年6月6日、7日
リリース:1956年
レーベル:Clef Records

メンバー

A面、B面1曲目、2曲目
Billie Holiday (Vocals)
Paul Quinichette (Tenor saxophone)
Charlie Shavers (Trumpet)
Tony Scott (Clarinet)
Wynton Kelly (Piano)
Kenny Burrell (Guitar)
Lenny McBrowne (Drums)
Aaron Bell (Bass)

B面3曲目〜、ボーナストラック
Billie Holiday (Vocals)
Willie Smith (Alto saxophone)
Harry Edison (Trumpet)
Bobby Tucker (Piano)
Barney Kessel (Guitar)
Chico Hamilton (Drums)
Red Callender (Bass)

収録曲

A面
1.Lady Sings the Blues
2.Trav'lin' Light
3.I Must Have That Man
4.Some Other Spring
5.Strange Fruit
6.No Good Man

B面
1.God Bless the Child
2.Good Morning Heartache
3.Love Me or Leave Me
4.Too Marvelous for Words
5.Willow Weep for Me
6.I Thought About You

ボーナストラック
1.P.S. I Love You
2.Softly
3.Stormy Blues

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Lady in Satin

基本情報

収録:1958年2月19日〜21日
リリース:1958年
レーベル:Columbia Records

メンバー

Billie Holiday (Lead vocals)
Ray Ellis (Conductor)
Claus Ogerman (Arranger)
George Ockner (Violin and Concertmaster)
Emmanual Green、Harry Hoffman、Harry Katzmann、Leo Kruczek、Milton Lomask、Harry Meinikoff、David Newman、Samuel Rand、David Sarcer(Violin)
Sid Brecher、Richard Dichler (Viola)
David Soyer、Maurice Brown (Cello)
Janet Putman (Harp)
Danny Bank、Phil Bodner、Romeo Penque、Tom Parshley (Flute)
Mel Davis、Billy Butterfield、Jimmy Ochner、Bernie Glow (Trumpet)
J.J. Johnson、Urbie Green、Jack Green (Trombone)
Tommy Mitchell (Bass trombone)
Mal Waldron (Piano)
Barry Galbraith (Guitar)
Milt Hinton (Bass)
Osie Johnson (Drums)
Elise Bretton、Miriam Workman (Backing vocals)

収録曲

A面
1.I'm a Fool to Want You
2.For Heaven's Sake
3.You Don't Know What Love Is
4.I Get Along Without You Very Well
5.For All We Know
6.Violets for Your Furs

B面
1.You've Changed
2.It's Easy to Remember
3.But Beautiful
4.Glad to Be Unhappy
5.I'll Be Around
6.The End of a Love Affair

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人種差別と「奇妙な果実」

「奇妙な果実」とは

「奇妙な果実(Strange Fruit)」とは、アメリカの作曲家兼詩人であるルイス・アレンによって作詞・作曲された楽曲です。

歌詞は、黒人がポプラの木にくくり付けられている様子を克明に表現する内容となっていて、黒人に対する人種差別、リンチの実態を訴えています。

人種差別反対のシンボルのようなプロテストソングとして、様々なアーティストにカヴァーされています。

ビリー・ホリデイによるカヴァー

ビリー・ホリデイは、この曲のカヴァーを1939年にレコーディングしており、ナイトクラブでも度々演奏していました。

特に、アメリカで最初の人種統合ナイトクラブ「カフェ・ソサエティ」での公演の際は、必ず「奇妙な果実」を歌っていて、ビリー・ホリデイとカフェ・ソサエティのテーマソングのようになっていました。
しかも、ビリー・ホリデイは「奇妙な果実」を公演の一番最後に歌い、アンコールをやらずにステージを去ることで、静かな客席に歌詞の意味を深く考える時間を与えました。

彼女が唄い出すまさにその瞬間、ウェイターは仕事を一時中断し、クラブの照明はすべて落とされる。
そして、ピンスポットライトが1本、ステージ上の彼女を照らし出す。
イントロの間、彼女は祈りを捧げるように瞼を閉じて佇立するのである。

政治的な影響

歌の与えたインパクト

1940年代当時、大人気歌手であったビリー・ホリデイが「奇妙な果実」を歌うということは、大衆に対して大きなインパクトがありました。
「奇妙な果実」のリリースの他にも、楽曲のモチーフになった事件現場の写真が出回ったことや、新聞による報道も相まって、リンチ殺人事件の惨状が世に広まったのです。

公民権運動

1950年代、1960年代は、アメリカの黒人が公民権の適用と人種差別の解消を求めた公民権運動が最も過激化した時代です。
1965年にはアメリカのジャズ歌手ニーナ・シモンがこの曲をカヴァーして人種差別撤廃を訴えるなど、「奇妙な果実」は公民権運動においても象徴的な楽曲に位置付けられました。

プロテストソング

そのことを踏まえて、アトランティック・レコードの創設者で音楽プロデューサーのアーメット・アーティガンは、楽曲「奇妙な果実」に対して『宣戦布告......公民権運動の始まりだ』と表現しています。
また、ニューヨークポスト紙のサミュエル・グラフトンは『南部で虐げられる者の怒りが溢れかえるとき、そこで鳴るラ・マルセイエーズ(フランス革命歌)こそこの歌だ』と表現しています。

歌詞の意味

歌詞全文訳(英→日)

Southern trees bear strange fruit
Blood on the leaves and blood at the root
Black bodies swinging in the southern breeze
Strange fruit hanging from the poplar trees

南部の木は奇妙な果実を実らせる
葉には血が垂れて、根にも血が滴る
黒い体は南部の風に揺れる
奇妙な果実がポプラの木に生っている

Pastoral scene of the gallant south
The bulging eyes and the twisted mouth
Scent of magnolias, sweet and fresh
Then the sudden smell of burning flesh

勇敢な南部ののどかな風景
飛び出た目と曲がった口
モクレンの香りは甘くて新鮮
すると突然肉の焼けるにおい

Here is fruit for the crows to pluck
For the rain to gather, for the wind to suck
For the sun to rot, for the trees to drop
Here is a strange and bitter crop

果実はカラスについばまれる
雨にうたれて、風に吹かれて
日差しに腐り、木から落ちる
それは奇妙で惨めな果実

作詞・作曲:ルイス・アレン、楽曲名:奇妙な果実、歌手:ビリー・ホリデイ、録音年:1939年、レーベル:コモドア・レコード、リリース年:1939年

まとめ

いかがだったでしょうか。

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